今日5月8日は“VEデー(Victory in Europe Day:ヨーロッパ戦勝記念日)”、第二次世界大戦で連合国がドイツを降伏させた、ヨーロッパにおける勝利を記念する日です。1945年の5月8日・・・細かく言うとロンドン基準の西ヨーロッパ夏時間で1945年5月8日23時15分・・・にベルリンで降伏批准文書が調印されたことに由来するのだそうですが、今年の欧州の5月8日は前日に行われたフランス大統領選挙の決選投票で反EU極右マリーヌ・ル・ペンが敗れた余韻冷めやらぬひとときでしょうから、よほど英語・仏語のニュースを漁ってみないと、日本からは現地の雰囲気がわかりにくいかもしれません。
たとえば、イギリス労働党ジェレミー・コービン党首のコメントツイート
“On #VEday, we remember the horrors of the Second World War, commemorate all who lost their lives & renew our commitment to a peaceful world.”
On #VEday, we remember the horrors of the Second World War, commemorate all who lost their lives & renew our commitment to a peaceful world.
— Jeremy Corbyn (@jeremycorbyn) 2017年5月8日
「#VEday」ってハッシュタグがあるんですね。
閑話休題
イェール大学のティモシー・スナイダー教授、私と同い歳なのにオックスフォードで博士号とって膨大な資料をくまなく地道にあさって、その成果をキッチリまとめて著書を世に出せるなんて凄いリスペクトなんですけど―――いやだって何か国語とかいう以前にロシア語や東欧諸国の言語の記録を読むのにキリル文字とイディッシュ語もヘブライ文字使ってたらとか思うと私なんてクラクラ目眩しそうなんですけど(苦笑)―――、『ブラッドランド』でナチズムとスターリニズムが犯した大罪を徹底的に深く掘り下げて弾劾し、『ブラックアース』ではナチズムとスターリニズムに間に埋もれた大中小のホロコースト(またはホロコースト的な何か)を暴きだすとともに、ヒトラーとスターリンが彼らの配下とともに行った行為が実に政治的科学的にロジカルで計画性あるものであり、現代でもその再現可能性への壁は私達が楽観してるほど高くはないことを「終章 私たちの世界」で鋭く警告してきます。その警告のなかの一部は、もしかしたらナオミ・クラインの『ショック・ドクトリン』と共鳴する部分があるかもしれません。こんな記述があります。
“実際には、イラクという主権国家へのアメリカの違法な侵攻によって突然引き起こされたうち続く出来事は、第二次世界大戦の歴史からの学習されていない教訓の一つを確認しただけだった。”[※下巻190頁]
VEデーのこの日―――日本だったら沖縄戦終結の6月23日だったり玉音放送の8月15日だったりでしょうけど―――、私たちは何を心すべきなのでしょう?スナイダー教授は『ブラッドランド』の結論の章『人間性(ヒューマニティ)』で「われわれヒューマニストの責務は、数値を人に戻すことだ。」と説いています。
“われわれは死者の数を集計するだけではなく、犠牲者ひとりひとりを個人として扱い、向き合うことができなければならない。綿密な調査を拒むひとつの大きな数値は、ホロコーストのそれだ。570万人のユダヤ人が亡くなり、そのうち540万人がドイツ人に殺された。しかしほかの数値と同じくこの数値も、ほとんどの人が把握できない570万という抽象的な数と見てはいけない。1×(かける)570万と考えるべきなのだ。
〈中略〉
流血地帯の大量殺人史では、レニングラード包囲戦で餓死した市民「1人×100万」、1941年から44年にかけてドイツ人に殺害されたことが明白なソヴィエト人捕虜「1人×310万」、あるいは1932年から33年にかけてソ連政権によって餓死させられたことが明らかなウクライナ農民「1人×330万」も記憶にふくめなければならない。”[※下巻276-7頁]
ならば、仮に音楽で報いるとしたら、どこか節目の日にブリテンの『戦争レクイエム』やショスタコーヴィチの交響曲第13番『バビ・ヤール』などを演奏するだけでは全然足りなくて、膨大な年数と人的コストをかけてでも、人数分の、ヴェルディの『レクイエム』をアレッサンドロ・マンゾーニから宛名をそれぞれ変えて、コーヴェリのシナゴークにいた少女ドブツィア・カガンのために、1940年にNKVDにカティンで射殺されたポーランド人将校アダム・ソルスキのために、・・・1回でいいから演奏して哀悼を捧げる。「1×570万」等々というのはたとえばそういうことだと思います。
東欧史が専門というスナイダー教授が2冊の著書で顕にした犠牲者の数に負けず劣らな大勢の人々の屍の上に、満州利権とアヘン密売で富と権力を握った最低最悪の男=岸信介のボンクラ孫が首相に居座っている国で歴史修正主義が堂々とまかり通ってしまっている現在の日本だけれど、だからこそ彼のこの指摘は絶対に他人事にしてはいけません。
“ホロコーストの犠牲者にとっては、今更及ぶところではないが。いかに膨大なものであっても善をいくら積み上げたとて、悪(イーブル)を取り消すことはできない。いかに成功しようとも将来の救助が、過去における一件の殺害を起きなかったことにはできない。一人の命を救うことは世界を救うことだというのはおそらく正しいのだろう。けれど、逆は真ではないのだ。世界を救うことで、失われたただ一つの命も取り戻すことはできないのだから。 〈中略〉 ユダヤ人――老若男女のユダヤ人一人一人――に対してなされた悪(イーブル)は無かったことにはできない。けれども、それは記録されうるし、理解されうるのだ。実際、それと似たことが将来起きるのを防げるように、ホロコーストは理解されなければならないのだ。”[※『ブラックアース』下巻198-9頁]
ならば忘却は、ましてや記録抹消や証拠隠滅は、日本人、とりわけ大和民族を称する者たちには、絶対に許されない。
ティモシー・スナイダー『ブラッドランド――ヒトラーとスターリン 大虐殺の真実 〈上〉』
ティモシー・スナイダー『ブラッドランド――ヒトラーとスターリン 大虐殺の真実 〈下〉』
ティモシー・スナイダー『ブラックアース―― ホロコーストの歴史と警告 〈上〉』