京都市交響楽団 第499回定期演奏会(指揮:ゲルハルト・ボッセ)

京都市交響楽団 第499回定期演奏会
2007年4月20日(金)19時00分開演
@京都コンサートホール(大ホール)

◆L.v.ベートーヴェン 『レオノーレ』序曲第3番 Op.72b
◆W.A.モーツァルト ピアノ協奏曲第18番変ロ長調 K.456
(休憩)
◆L.v.ベートーヴェン 交響曲第6番ヘ長調 Op.68『田園』

指揮:ゲルハルト・ボッセ
ピアノ:岸本雅美
コンサートマスター:渡邊穣

 

今年度最初の京響定期は常任の大友さんではなくボッセさん。
記念誌をザッと見ても客演指揮に名前が無かったので、ひょっとして京響には初めてでしょうか?

ボッセさんは一昨年(まだこのブログを始める前)大フィルといずみホールでハイドンの『時計』とかやったのを聴いて以来2度目です。
今年2月にセンチュリー定期への客演でベートーヴェンの2番とメンデルスゾーンの『スコットランド』をやってたようなのですが、私は行かずじまいでした(今になって激しく後悔してます・苦笑)。
大フィルの時は「『時計』は結構いい味出てたなぁ・・・」くらいの印象だったのですが、よりによって関西のオケの中では一番ベートーヴェンと縁の薄そうなオケでそのベートーヴェンを2曲なんで、いくらボッセさんがゲヴァントハウス管のコンマス務めてたほどの経験豊富な方とはいっても、あまり期待はしてなかったんです、正直なところ。

ところが・・・『レオノーレ』の最初の和音で思いっきり予想を裏切られました。
もちろん、とびきり良い方に(爆)。
イヴィツァ・オシム爺ちゃんもそうですが、この手の百戦錬磨のお爺ちゃんを舐めてはいけなかったんですね。
自分の不明を恥じました。
出てくる音の響きの醸しだす雰囲気が、もう過去の録音でしか拝めなくなった‘ドイツ正統派’とよく形容されるものと同じような類のものなんです。
そりゃビックリしますって(笑)。

いつもの京響サウンドをベースに、さしずめシュターツカペレ・ドレスデン風味の味付けをたっぷりと施したような感じで、弦の変化はもちろんですが、渋い味の小谷口さんに「今日は中の人が昔気質のドイツ人なんですか?」と問いたくなったシャレールさん(今日のオーボエの1番は前半シャレールさんで後半は高山さんでした)とか、管の人達もなんとなく音色の雰囲気がいつもと違ったように、私には思えました。

曲自体は終始遅めのテンポで、エンディングに向かう劇的な部分も一歩一歩足元を確かめて淡々とゆっくり歩くよう。
まあ、その辺は80半ばという高齢の方ですので、ドラマティックにやれというのが無理でしょう(笑)。
演奏の精度自体は高いので、これはこれでとても味わい深いものでした。

2曲目のモーツァルトはオケの人数をぐっと刈り込んで、室内楽編成。
ここでもオケから出てくる音が、絵画とかでよく見るような昔のヨーロッパの宮廷の雰囲気をパーッとイメージさせる(いや、別に映画『アマデウス』のワンシーンを思い出しても差し支えないですが・・・)もので典雅な趣きに満ちていて、とてもよかったです。
このまま「ハフナー」とか「リンツ」とか「プラハ」とかやってくれたらさぞかしよかったのですが、残念ながらピアノがせっかくの雰囲気を損ねていたように思いました。
音色は悪くなかったですし、技巧的にも上手いんでしょうけどね・・・。
シューマンやらショパンやらロマン派の作品弾く時と‘同じ手’でモーツァルトを弾きました、っていうのがありありで。
他の指揮者との共演ならマイナスイメージは持たずに済んだ、それなりにいい演奏だったと思うのですが、残念ながら今日はボッセさんだ(苦笑)。
ペダルを駆使して弾いてしまったのでは、ボッセさんが京響と作る響きとは水と油みたいに思えました。

このあたり、長い長い年月に脈々と伝えられてきた歴史と伝統をライプツィヒで先代達から叩き込まれ‘巨匠たちの時代’にキャリアを始めた人と、どんなに頑張ってもロココなんて紙の上の資料でしかわかりませんし私はピアノ以外のことはよう知りませんし、という人の差なんでしょうか?
モーツァルトを演奏することの難しさを改めて認識させられたピアノソロでした。
ついでに言うなら、左手の余計なポーズはカッコつけすぎだろ、とそれで一段と腹が立ったというのもありますが(苦笑)。

メインは『田園』。
この曲をFM放送ではなくレコードやCDで初めてちゃんと聴いたのは名盤中の名盤ともいえるワルター&コロンビア交響楽団の録音でして、出だしだけでなんともいえない感動を味わったのを今でも覚えていますが、あの時と同じ感動を生で味わえるとは思ってもみませんでした。
ワルター盤を思い出させてくれる、素晴らしい1stヴァイオリンの出だし。
あとはもうだたひたすら、ベートーヴェンの『田園』交響曲の世界に引き込まれるだけでした。
特に第1楽章の優雅さを湛えた美しさと終楽章の大自然を思わせるスケールの大きさは素晴らしかったと思います。
アーティキュレーションとかボウイングとかいつもと違う注文が結構多かったように見えた弦ですが、結果は全て大成功だったのではないでしょうか。
木質感が漂い深みがあってまろやかな・・・という現代では当てはめにくくなった独墺系のオケの褒め言葉が似合いそうな雰囲気が感じられて、とてもよかったと思います。
第4楽章がお優しい嵐だったのはご愛嬌(笑)ですが、トータルでみれば不満とするところでもありません。
管のソロも素晴らしかったですが、清水さんも高山さんも小谷口さんも中野さんも、み~んな「中の人が・・・」と言いたくなるくらい、出てくる音の醸しだす雰囲気がいつもとは違ってて、皆さん見事に普段のキャラと違う、いぶし銀のドイツ系もどき(笑)。

手垢がたっぷりついているはずの『田園』交響曲での、丁寧な音楽作りをベースにした温もりと安らぎを感じる素晴らしい演奏に、客席全体から熱い拍手が送られていました。
2度・3度とカーテンコールに迎えられるボッセさん、団員たちからも惜しみない拍手が送られてましたし、木管から順に首席を、そしてセクション全員を立たせ、弦はヴィオラから1プルト全員1人ずつと握手し皆を立たせ、最後にコンマスの渡邊さんと握手して・・・
・・・あれ??そのまま
「若ぇの、もう帰ぇるぞ」
とばかりに掴んだ手を離さずムリヤリ引っ張っていこうとするし(笑)、「まだ拍手続きそうなのにもう終わりですか?」と予想外のことにやや戸惑ったリアクションの渡邊さんが可笑しくて(爆)、最後は茶目っ気たっぷりの指揮者とコンマスのやりとりで終わりました。

今の世では過去の録音でしか味わえないような雰囲気のベートーヴェンが、京響の定期で聴くことができて嬉しかったです。
今年で85歳という年齢のことはありますが、京都に比較的近い高槻にボッセさんはお住まいらしいので、来年以降も定期に登場していただくわけにはいかないのでしょうか?
京響との相性もいいように思いましたし。
いえ、センチュリーの2月の定期に行かなかった不明を棚上げするわけではないのですが・・・(苦笑)。

ところで、いつも紹介されるボッセさんの経歴、ゲヴァントハウス管のコンマスだったことの他に
「第2次大戦中はリンツ帝国ブルックナー管弦楽団で・・・」
と書かれているのですが、“リンツ帝国ブルックナー管弦楽団”って何だ?!と思ってググって見つけたのが↓です。
リンツ第三帝国ブルックナー管弦楽団
《カラヤン/リンツ・ブルックナー帝国管弦楽団のブルックナー演奏史》
ワーグナーと共にヒトラーのお気に入りだったブルックナーゆかりのリンツ市にベルリンフィル・ウィーンフィルに匹敵するオケを作って・・・云々という壮大なプロジェクトのために新しく結成されたオケのようで、優秀なドイツ人演奏家を苦労してかき集めたりしたそうです(戦前のドイツの音楽シーンを支える重要な役割を担ったユダヤ系はナチスが殺すか追い出すかしたおかげで、どの既存のオケも質の維持は大変だったらしく、また外国人演奏家の入団はナチスが一切認めなかったそうな)。
専属の指揮者はゲオルク・ルードヴィヒ・ヨッフム(オイゲン・ヨッフムの弟)、客演指揮にはフルトヴェングラー、クナッパーツブッシュ、シューリヒト、カラヤン、ベーム、カイルベルト・・・etc.という錚々たる面々で、演奏会のメインはもちろんブルックナー(笑)。
録音があったらぜひ聴いてみたいですねぇ。
こうしてみると、日本のサッカー界がオシムさんから学ぶべきことが多々あるのと同様に、関西のオケはボッセさんがお元気な間に彼からできるだけ多くのものを吸収すべきなのでは、と痛感させられました。