京響友の会会員更新時に座席変更を願い出て、昨シーズン1年間を2階席のステージ真横で聴いていたしとらすさん、今回から3階サイドに移動です。ステージより後ろ側なので指揮者の表情とか見れないのは残念ですが、音響がアンバランスに聴こえてこない点ではマシかと思います。京コンって席によって聴こえ方がガラリと変わってくる・・・というか音響の良い場所を探すのに二苦労するという、音響工学的には非常によろしくないホールなのが難点なんですよね・・・。
閑話休題。
メジャーコンクール優勝という肩書きは日本では恐ろしい効力を発揮するもので、“神尾真由子”効果から今回のチケットは2月初旬に早々に完売。裏を返せば普段は京響の演奏会に来ない人だってかなりの人数で来るということでもあるので、日本の古都に京響あり!というのを披露する格好のチャンスかもしれません。
さて、開演20分前のプレトーク、ステージに出てきたのは・・・尾高さんではなく今年度から新しくシニアマネージャーの職に就いたらしい岡田進司さん。
マエストロが本番に集中するためにパスしたいと願ったそうで、代わりに出てきた岡田さんからは今季の定期11回の概要がサラッと説明されました(まぁ今日の2曲に関してはパンフに書かれた解説以外に薀蓄を付け足す必要性も敢えて無いようなほどメジャーな気もするのでいいのですが)。
就任早々定期のプレトークで1人マイクを押し付けられることになったのには同情しますが、7月にソリストでレーピンが来ることは忘れずに宣伝してほしかったかなぁ(苦笑)。
京都市交響楽団 第567回定期演奏会
2013年4月14日(日)14時30分開演@京都コンサートホール
◆J.ブラームス ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 Op.77
(休憩)
◆R.シュトラウス 交響詩『英雄の生涯』 Op.40
指揮:尾高忠明
ヴァイオリン:神尾真由子
コンサートマスター:渡邊 穣
庄司紗矢香さんの名前が売れ始めた頃に大阪にも彼女に並ぶ才能の持ち主がいると関西の事情通から神尾真由子さんの名前が出始めて、10年前の455回京響定期にも出演したそうですが(大友さんの指揮でベートーヴェン)、その頃の私はまだ京響の演奏会に足を運ぶ習慣がなかったですし、プロモーションが年齢と“天才という宣伝文句若い音楽家を売りだしてくるのには眉に唾をつけて見る天邪鬼な性格なものですから、関心は持っていたものの実演を聴くキッカケがなく、そうこうしているうちに6年前のチャイコフスキー国際コンクールで神尾さんが優勝。本人とプロモーターにとっては大変名誉なことでしょうけど、近年のショパコンとチャイコンの有り様には懐疑的なイメージしか持ってない私にとってはむしろマイナスでして(苦笑)、信頼しているツイッター仲間の方から実演で聴いた感想を伺わなかったら開演前の当方の心持ちがニュートラルに戻らなかったかもです。
今日のステージにベージュのドレスで臨んだ神尾さん。ブラームスのヴァイオリン・コンチェルトは作曲年代が2番シンフォニーの翌年と時期が近いだけでなく調性も同じニ長調。20代前半当時のユリア・フィッシャーやヴェンゲーロフが録音で見せたような、2人の個性はかけ離れていても大雑把に言えば若さと年齢ゆえの感性で程よくスパーンと押し切ったような、そういったアプローチが今年27歳になる神尾さんにはまだ充分許されると思いますし、ベクトルは異なってもある種の思い切りを見せてくるかな、と勝手に予想していたのですが、これが全然違いました。
まず第1楽章。腕時計で見ただけなのであまり正確ではありませんが約25分、やや遅めでしょうか。最初の印象としては最初のソロの入りでもしかしてちーっとばかしツボを外したか?と感じたのと、音色が二次元美少女的に言うところの“ふとましい”感じで中高音域での鳴らしっぷりもとてもきれいによく通る音だったのが好感を持てた反面やや不安定に見えたところも散見されたのと、カデンツァが存外におとなしいような気がした(私は弦楽器に疎い上に3階席だったので気づかなかったのですが、ここの初っ端でD線が弛んだアクシデントがあったというのをネットで見かけましたけど、他に誰か気づいた方いますか?)のと・・・そんなところでしょうか。
第1楽章が終わってからソリストがチューニングし直して、第2楽章から終楽章はアタッカで演奏。休みをはさんだことで上手く気持ちの切り替えもできたのか、第1楽章で時折感じた引っかかりも無かったですし、神尾さんが瞬間瞬間でブラームスのスコアと手探りで対話しながら音を紡ぎだそうとしている姿勢みたいなものをやろうとしているように思えました。
それを内省的という一言で片付けたくはないですね。例えは悪いかもしれませんが、富野ガンダムでのニュータイプとかガンダム00での純粋種のイノベイターとか、そんな感じ(こんな物言いしかできないのを笑いたきゃ笑え!・爆)。歳を取れば巨匠と呼ばれるレベルの超一流どころの音楽家なら余程我が強すぎる(=どの曲やっても自己流に変えてしまう)個性の持ち主でないかぎりは誰もがそれぞれなりにやってることなのでしょうけど、彼女もそうした方向にスタイルの舵を切りつつあると見受けられました。
演奏後に熱い拍手が沸き起こって団員たちからもそれぞれに賞賛の反応を示し、カーテンコールで何度も呼び出されるうちに客席からの拍手が(他は知りませんが京響定期では半ば恒例化している)アンコールを要求するものも含んでくるようになっても、彼女は楽器を手にお辞儀をしただけでアンコールは拒否しました。
私はそれで正解だったと思います。40分超もブラームスとまともにお付き合いしていたら若い彼女が精神的に疲弊してアンコール弾く余裕がなくなるのも当然でしょうし、私の座席位置と視力ではステージ上の表情までは伺えませんでしたけど、今回の出来に本人がどう思ったか・・・私の印象では現時点での彼女のベストは今日のベストよりもまだずっと上だという認識です。
一方でオケ側の方ですが、木管陣の1番奏者がクラリネットは小谷口さん、オーボエは高山さんと首席奏者が吹いてました。管セクションはたいてい後半メインで首席が1番をやる代わりに前半は副首席か(副首席をまだ置いてないパートは)他の人が1番を受け持つのですが、オーボエは前半がシャレールさんで後半が高山さんというのがほとんどなので、今回は珍しいケースだと思いました。第2楽章で長いソロがあるからバリバリのフランス人よりもドイツ系の高山さんの音色を今回は採ったということなのでしょうかね。ソリストに負けていられないとばかりにさすがの演奏でした。オケの伴奏も全体的に良いサポートだったと思います。
そして、後半の『英雄の生涯』。神尾さんのヴァイオリン目当てで前半だけで帰った人やフルサウンドの「英雄の戦場」を過ぎたあたりから途中退出した人が少なからずいましたが、ハッキリ言って
「おまいら、一生後悔するがいい!」
前半からそうだったのですがステージのひな壇が弦の第1プルトから一列毎に段も1段上げるというご丁寧にもお椀状になるような配置の凝りようで、後半ではエキストラも大勢入って弦セクションやホルンパートはかなりの人数になってましたけど、それでも響きが濁ることは全く無かったですし、アンサンブルも最後までビシッと統率がとれていて、それはそれはもうたまりませんて(笑)。
この曲の最初の出だし、チェロとコントラバスとホルンによる低い音からのフレーズがズゥ〜ンと腹に響くように上手くはまったので、コレは(最後まで皆が集中と気合を切らさなければ)イケると踏んだのですが、この感覚通りに最後まで見事に引き締まった素晴らしい演奏でした。
尾高さんの解釈は想像通りで全体的に端正なイメージでしたけど、ダイナミックレンジを広くとっていたので「英雄の戦場」でのブラスセクションのフルパワーサウンドは凄い迫力がありましたし、その前後の部分での様々なテーマの旋律での弦の歌わせ方も作為的にならない範囲内でしっかりカンタービレしてて、弱音も澄んだ美しいトーンで穏やかだったり緊張感があったりという表情の描き分けもしっかりできてましたし、1人の英雄の登場から静かに世を去るまでを一大のカラー絵巻物として見せてもらったようでした。
所々で出てくるヴァイオリン・ソロもベリーグッド。間違いなく前半の神尾さんと比較されるだろうからって渡邊さんも相当気合入ってたんでしょうね(笑)。
そして、最後の音が鳴り止んで尾高さんがゆっくりタクトを下ろし体の緊張を解き終えるまで会場全体がシーンと静まりかえってた、その事自体が今回の演奏の凄さを物語っていたように思います(フラブラだの何だの京響定期の聴衆のマナーの低レベルさは悪名高いですからね・苦笑)。
関西のクラシックファンで覚えている方も少なからずいると思いますが、7年前の4月の定期で大友さんの指揮で『英雄の生涯』を演奏してて、その時はちょうど直前に大植&大フィルコンビで同じ曲を定期で演奏したのを聴いてたので、あの時は指揮者とオケの個性が違うだけでレベル的には大フィルと全然変わらへんやん、くらいの印象だったのですが、あれから時を経て京響は何倍もレベルアップしてきた・・・そういうのを実感できて、一ファンとしても喜ばしいかぎりです。
・・・ていうかさぁ、プランで予定を立ててた時だけでなしに、定期演奏会は毎回CDリリース仕様の録音セッティングしておきましょうよ、事務局さん(笑)。録るだけ録って今回みたいに他所様に大きく自慢できるレベルの演奏だったら自主レーベルですぐ出せるようにさぁ・・・放送用収録すらなかったもん、外へのアピールという点でなんか凄く損してる気が・・・。