京都市交響楽団 第569回定期演奏会(指揮:ユージン・ツィガーヌ)

雨が降ってないのを幸いに自転車で北山まで向かったのですが、午後には30℃を超す中をヒ〜コラギ〜コラとベダルを漕ぎながら行ったもんで、暑いし汗は出るしでキツかったです(苦笑)。南→北ですとなだらかな上りになるので、帰りは比較的楽チンなんですけど、行きはその逆なわけで・・・途中で2Lペットボトルのミネラルウォーター買って水分補給しながらだったんですが、冷蔵されてないのを買ったので、カゴに入れてたらぬるま湯みたいな温度になってしまいました。

 

京都市交響楽団 第569回定期演奏会
2013年6月16日(日)14時30分開演@京都コンサートホール
◆F.メンデルスゾーン 序曲『美しいメルジーネの物語』 Op.32
◆L.v.ベートーヴェン 交響曲第8番ヘ長調 Op.93
(休憩)
◆P.I.チャイコフスキー 交響曲第6番ロ短調『悲愴』 Op.74
指揮:ユージン・ツィガーヌ
コンサートマスター:渡邊 穣

 

ツイッターで初めて知ったのですが、今日の定期にはプライベート?で山田知事が聴きに来ていたらしいですね。私は休憩時間の時はホール外に出ていてロビーの様子とか全然わからなかったのですが、装いが思いっきしカジュアルだったそうで、そりゃ簡単に気づくわけないか(笑)。幸い今日の京響も素晴らしい演奏を披露していたので、たぶん良い気晴らしになったことでしょう。

閑話休題。

今日の指揮者ユージン・ツィガーヌ[http://www.eugenetzigane.com/]さんは米国人と日本人のハーフ。プレトークは彼1人登場して喋ってました。話を聞いた感じでは英語がネイティヴなようで、「日本語ちょっと壊れるかも」と笑って仰ってましたが、説明してて日本語がパッと浮かばない時には前列のお客さんたちに英語で尋ねて、返ってきた日本語で改めて説明するという、気さくでフレンドリーな人柄が表れたトークでした。

内容としては、まずはじめに『悲愴』についてごく簡単に。深い悲しみの表現ではあっても、よく言われがちな死の予兆というのは決して無い、とだけ。あとは『美しいメルジーネの物語』の元々の物語のあらすじの説明(美しい曲なのに演奏機会が少ない理由はわかりません、少し難しいからかも?とは彼の言でしたが、私が予習で聴いた第一印象ではわかりにくさはそれほどなかったので、聴き手の想像以上に演奏する側にとって意外と厄介なのかも?)と、ベト8は“冗談(彼は日本語でこの言葉を使ってましたがネイティヴの英語では何をイメージしてたのかな?ちょっと気になるw)”が多い曲だということ。ベートーヴェンは後ろから人を脅かしたりするのが好きで、この曲にもそれが現れていると言って第1楽章の出だしの部分のメロディーを口ずさんで説明してましたが、これがなかなかどうしてテノールの良い声で歌が上手いんですよね。私にとってはそちらの方が驚きでした(笑)。“冗談”というのは第3楽章でもみられて、メヌエットは本来キングやクイーンが踊るものなのに農家のそれに替えている、とも仰ってました(要はメヌエットは宮廷舞曲なんだけど此処ではレントラー風になっているということかと)。

さて、前半。2曲とも弦セクションが10型の対向配置。客席から見て左から第1ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、第2ヴァイオリンで、コントラバスはチェロの後ろ。3プルト目から1列毎にひな段を1段ずつ上げていくステージの作り・・・ってこうしたやり方はこれで3ヶ月連続ですね。音響面を考慮してオケ側でこうしたステージの形にするということでしょうか?次回のパブロ・ゴンザレスさん、次々回の広上さんがこの辺をどうするのか、ちょっと注目。『美しいメルジーネの物語』を聴いていて想像以上に滑らかというか流れや横のフレージングを大事にするタイプなのかという印象を持ったのですが、それがより顕著になったのがベト8。全体的に快速テンポで特に両端楽章はカルロス・クライバーだったらこれくらいのテンポでやるかなっていうくらい速くて京響もついていくのが精一杯のように見えましたが(ついでに言うと前半のクラリネットの1番は筒井さんでなく玄さんで担当してほしかった・苦笑)、ただ速いだけなら近年のピリオド的演奏でよくあるパターンですけど、ツィガーヌさんの音楽作りはどちらかというとその真逆。なんというか、『方丈記』冒頭の
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。」
を地で行くような、川の清水がとどまることなくサラサラと流れていくような、そんな印象でした。8番でこんな音楽作りをするとはねぇ・・・定期が2日間公演なら2日目で慣れてきたオケ相手に彼の狙いがより鮮明に打ち出せたんでしょうけど、その点がちょっともったいなかったように感じました。昨年の都響客演時の様子をネットで見かけた感想にはキレのよさやメリハリ感というのが目立ってたので、それらから私が想像していたのとは違うベートーヴェンが出てきて、こうした良い意味で予想の斜め上のが出てくると嬉しくなりますね。4番・7番あたりだと彼の個性がピタッとハマりそうな気が・・・ってこれクライバーの十八番やん(笑)。

そして後半、管楽器に首席陣揃い踏みでの『悲愴』。第1・3楽章でブラスセクションの鳴らしっぷりがなかなかの迫力でしたが、弦セクションにも気を配って濁りのない響きでしっかり弾かせていて上手くバランスとってましたし、一本調子にならないよう所々で細かい芸をさり気なく織り込んでいたようでしたね。スラブ的な泥臭さはないものの若さ故のスタイリッシュさと一言で片付けるのもまた間違ってるような、曲線的立体感の造形というか表情の豊かさ・・・あと、第2楽章の5拍子の処理も5拍子とは思えないほどナチュラルでスムーズなリズムとフレーズにも感心させられました。
力強く終わった第3楽章の後に客席からワラワラ拍手がおきたのには失笑モノでしたけど、それを振り払うかのようにほとんどアタッカのような入りで終楽章を奏で、次第に高揚していくクライマックスから徐々に音の広がりが小さくなっていき、消えゆくように最後の音が鳴り止んでも、今度は皆が緊張したような息一つできないくらいシーンとした静寂がホール全体を包み、ツィガーヌさんがゆっくりと指揮棒を下ろしきってから拍手の渦。これはちょっと感動的な光景でした。

今回の演奏、プレトークでは深い悲しみを表現したものだと仰ってましたけど、実際に提示された音楽には大きな悲しみを味わった先にもきっと希望や救済が存在していると思わせるような、僅かではあってもどこかに必ず光明は見出だせる、そう訴えかけているような印象を持ちました。『悲愴』を聴いてこんな感想を抱いたのは初めてかな・・・。
ともあれ、演奏が素晴らしかっただけでなく初顔合わせだった京響団員とも好い関係を築けた様子でしたので、また客演で来てくれればと願ってます。