B席で若干数残っていた分も当日券で捌けたそうで、これで今年度は4月からずっと完売御礼が続く、なんとも目出度いこととなりました。
今日の指揮者のパブロ・ゴンザレス[http://www.pablogonzalez.eu/]さんは昨年7月下旬のN響の地方公演(福井と四日市、かな?)を指揮して以来2度めの来日。プレトークではその来日ついでに京都観光もしたそうなのですが、N響の客演の少し後に京響からオファーが来たそうで、観光で京都の街が気に入ったらしくてオファーが来て嬉しかったとかなんとか(まぁ少し社交辞令込みでしょうけど・笑)。英語で行われたプレトーク、通訳の人は訳さなかったようですが、ゴンザレスさんの口からはfestival云々と仰っていたように聞こえたので、祇園祭真っ最中の京都で一昨日の山鉾巡行を見るくらいはできたのかもしれません(ヒアリングにまったく自信ないので当てずっぽうですが)。
1975年生まれのスペイン人指揮者で、大植英次の後任で2010−11シーズンからバルセロナ交響楽団[http://www.obc.cat/](以下OBCと略します)の音楽監督を務めています。コンサート指揮だけでなくリセウ劇場などスペイン国内の歌劇場でオペラも振っているそうですが、さてさて今回は・・・?
京都市交響楽団 第570回定期演奏会
2013年7月19日(金)19時開演@京都コンサートホール
◆J.シベリウス ヴァイオリン協奏曲ニ短調 Op.47
(休憩)
◆D.ショスタコーヴィチ 交響曲第10番ホ短調 Op.93
指揮:パブロ・ゴンザレス
ヴァイオリン:ヴァディム・レーピン
コンサートマスター:泉原隆志
まず前半のシベコン。ソリストがレーピン[http://www.vadimrepin.com/]さんですので、売り出す方としては今日の目玉と言いますか、彼目当てで来た人も多かったと思います(ついでに日本人による非公式ファンサイトもあります)。私も生で聴くのは初めてでしたので、どんな演奏をするのか興味津々だったのですが・・・
そうですね、野球に例えるなら、初回の立ち上がりで内野安打とフォアボールがあったくらいで後は全てシャットアウトの完封、しかもファストボールしか投げないから組み立ては好きなようにやらせてもらうと全部ノーサインで投げるピッチング内容だった、というところでしょうか(なんやねんそれって言わんといてやw)。ファストボールだけったってコースの投げ分けにフォーシーム・ツーシーム・ワンシーム・ムービングの使い分けで多彩にできると思うのですが、そんな感じでしょうか。音の美しさや超絶技巧でアピールする年代をとっくに通り越して、全体の構築をしっかりして内省的深度を追求する心境に入りつつあるのかな、という印象でした。出だしがもしかして自分のツボからちょっとズレたか?と思うところが無きにしもあらずでしたが、すぐに立て直して後は聴き手を惹きこむばかりの演奏でした。
で、例えに全部ノーサインのピッチングと言ったのは、演奏中はとにかく自分自身に没頭しているというか、伴奏だけの時も上を向くか俯くか目を閉じてるかでとにかくオケどころか指揮者ともほとんどアイコンタクトしてない様子だったから(笑)。ソリストの方が4歳年上かつクラシック界でのキャリアでは年齢差より遥かに上でしょうから、若造とオケの方が俺に合わせろ、といったところなのかもしれません。一昨年にウィーン・トーンキュンストラーの定期公演でゴンザレスさんが急遽代役登板した時の演奏を観た日本人の方の感想では熱血漢で手振り身振りが大きいとありましたし、つべにアップされてる動画(ここらへんのOBCとのタコ10とか)見ても似たようなものだったので、今回も指揮がやたら動作が大きくて忙しいのは単に本人のキャラだからか、と思ったのですが、後半のタコ10を聴き終えた後から振り返ると、もしかしたらソリストに合わせるのに必死だったのかしら・・・と思わなくもなかったり・・・それでも曲が少し進んですぐにしっかり噛み合わせてきたあたり、大したものです。オケも指揮者もよく健闘してました。アンコールは無し。何度もカーテンコールで呼び出されてましたし、観客の中には期待したいむきもあったのでしょうけど、レーピンさんは楽器を手にこそすれ構えることはありませんでした。個人的にはあの演奏の後ではどっちでもよかった気分だったので、アンコール無しにも納得でしたけど。
次、後半。なぜスペイン人の彼がショスタコーヴィチの、それも10番をメインに据えたのか、正直ご本人に確認したかったですし、今回が平日夜で自転車でなくバス→地下鉄だったので質問ついででサイン貰いに行く時間的余裕がなかったのが本当に悔やまれます。
なので、ここからは私の勝手な根拠の薄い推論です。
ゴンザレスさんはOBCの音楽監督就任間もない頃にショスタコーヴィチの10番を採り上げてますし、その際の映像を自身のサイトからつべの動画にリンク貼ってるくらいですので、おそらく持ちネタというか得意な十八番の1つなのでしょう。更にプレトークでショスタコーヴィチについて、終生旧ソ連当局と闘いながら作曲を続けた人だった、と仰ってました。ショスタコーヴィチも盟友ムラヴィンスキーも共に旧ソ連国内で時に共産党から酷い批判や圧力があっても耐え忍びながら音楽活動を続けていました(ショスタコーヴィチはフルシチョフ時代にレニングラード音楽院―現サンクトペテルブルク音楽院―大学院での教育活動復帰と引換に共産党員になったそうですが、ムラヴィンスキーは生涯通じてソヴィエト共産党に入党しなかったそうです)が、2人が亡命の憂き目に遭わずギリギリの抵抗を続けられたのも、当局が迂闊に手を出せないほどの国際的な名声を得ていたこともさることながら、両名ともクレムリンのあるモスクワから離れた旧都サンクトペテルブルクで生まれ育った矜持があったからかもしれません。そしてムラヴィンスキーが手兵レニングラード・フィルと1953年に初演した10番は、9番の初演からジダーノフ批判とスターリンの死を経て8年の間が空いてしまってました。
ゴンザレスさんはオヴィエドの生まれだそうです。20万都市のこの街、世界史を知る人にとってはこの街を含めたアストゥリアス一帯がレコンキスタ発祥の地として、F1ファンにとっては当代最高のドライバーの1人フェルナンド・アロンソの故郷として認知されているであろうオヴィエドは、1930年代にスペイン内戦とその少し前のアストゥリアス革命(鉱山労働者の大規模蜂起)の2度にわたってフランコ指揮の軍による攻撃を受け、古い町並みを尽く破壊された経緯があるそうです。フランコ独裁政権下のスペインで弾圧された地域としてパッと頭に浮かぶのがバスクやカタルーニャといったところですが、オヴィエドも市民感情としてはバスクやカタルーニャの人たちと似たりよったりだったのかもしれません。
で、フランコの死と同じ年に生まれた彼がショスタコーヴィチの10番に何を見たのか・・・時に二枚舌を使いながらも面従腹背でしぶとく生きながらの独裁圧制へのレジスタンス・・・では?
えぇ、えぇ、だからご本人に聞きたくても時間的都合で確認できなかった、しとらすさんの勝手な憶測ですってば(苦笑)。
演奏はというと、音色こそ旧ソ連の冬の時代の音楽をイメージするには暖色系に過ぎるところもありましたが、1つ1つの音に指揮者の意図がしっかり刻み込まれている印象で、全体のバランスを保ちながらもリズムのキレの良さと広いダイナミックレンジ、鮮やかで多彩な表情作りが見事な素晴らしい音楽になっていたように思います。ショスタコーヴィチが好きなファンにとってはもう少し無機質な冷酷さが欲しかったところでしょうけど、イベリアのラテン人にロシア的なものを求めても仕方ないですし、スピリッツにレジスタンス的なシンパシーを垣間見せてくれただけでも個人的には充分だと思います。クラリネットの小谷口さんのソロなど管セクションが見せ場で大活躍してましたが、弦セクションも芯のしっかりした良い響きで奏でていました。とりわけ第2楽章の出だしの弦のトゥッティが予想外に腹の底までズシンと重みがあるインパクトの大きい音(単に音量が大きいとかでは決して無い)でビックリするほど印象深かったです。あんな音、出させた方も出した方も凄かった・・・。
あと、ゴンザレスさんの指揮ぶりですが、ネット上の動画で見たOBCとの演奏や前半で見せていたのから想像していたよりも、意外に動作が大人しめでした(顔の表情は私の席からはわかりませんが)。熱血漢と聞いていたし前半があんなだったから、後半はもっと暴れるというか手振り身振りが大きくなるかと思っていたのですが、違いましたね。練習で細部までかなり作りこんだ故なのでしょうし(だから逆の推測で本番では前半の方が何かと大変だったのかな?と)、京響はショスタコーヴィチの作品をわりとよく採り上げるオケなので、指揮者の意図が浸透しやすかったのかもしれません(ロンドンの音楽学校出身で英語も堪能だからコミュニケーションがとりやすかったとかも)。35歳でカタルーニャ州立の(かつ随一の)オケのシェフに抜擢された実力は確かでした。ぜひ再演を期待したいですね。