来月の片山九郎右衛門さんの公演に関する記事がありました。喜寿祝で『安宅』のシテを務めるそうですが、『安宅』のシテというのはそう、弁慶のことです。
記事中に
「筋力トレーニングに励みつつ」
とありますが、77歳の人間国宝がスポーツジムで筋トレなんて想像がつきませんけど、それができるだけまだまだお元気な証拠なのだとホッとしています。
九郎右衛門さんの舞台はしばらく拝見してないなぁ・・・と思いつつ、こうした特別の会ともなれば油断してるとすぐチケットが売り切れたりして、一昨年でしたか?『関寺小町』も結局逃したり・・・。オマエの情報収集が遅いからだ!と言われればそれまでですが・・・(苦笑)、見れる方が羨ましいです。
◆観世流・片山さん、喜寿で挑む弁慶 来月、京で大曲「安宅」上演へ
【京都新聞 2007年9月26日】
観世流シテ方の人間国宝・片山九郎右衛門さん(77)が、10月13日に京都市で開く「喜寿を祝う会」で大曲「安宅(あたか)」を舞う。歌舞伎の「勧進帳」の元になった曲で、主役・弁慶のエネルギッシュな男舞が見せ場。上演が1時間半を超え、70代での挑戦は異例だ。九郎右衛門さんは「おそらく最後の安宅。気の抜けた舞台にはしない」と筋力トレーニングに励みつつ、本番に臨む。
「安宅」は、幽玄の世界とは対極にある「力の能」の代表曲。劇的な起伏と緊迫感に富み、特に、変装した山伏8人を従え、関守の富樫と渡り合う弁慶は、能の中でも屈指の大仕事とされる。
同じく観世流シテ方の長男清司さん(42)が「もう1度おやじの安宅を見たい」と話したのが挑戦のきっかけ。8年前の舞台が最後と感じていた九郎右衛門さんは「まさかこの年で無理」と思ったが、強く請われるうち「心身共に充実している今なら、気負いがあった昔とは違う安宅が舞えるかも」と決心した。
今回はさらに小書(特殊演出)で「延年の舞」を付けた。関所の通過を許されてほっとした弁慶が、富樫に勧められた酒を飲み、豪快に舞う。力強く跳び上がる場面などにも耐えられる足腰を維持するため、普段から両足に各1・5-2キロのウエート(重し)を着け、毎週欠かさずスポーツジムで筋トレに励む。
「筋力の衰えは仕方ないが、できれば少しでも先に延ばそうと。悪あがきですわ」と笑う。
小柄で、品格のある女役を得意とする九郎右衛門さんは「弁慶はもともとニン(適役)でない」という。だが難曲の「安宅」を生涯で一、二度しか舞わないシテが多い中、30代の初演から7、8回も務めてきた。
「最初のころは若いのに息が上がったが、だんだんと力の配分ができるようになった。でも昔の舞台をビデオで見れば、まだ下手やなあ」と話す。
喜寿での挑戦に、周囲の反応は驚きと期待が混じり、約550の席券は完売した。
「私の年齢でできる安宅を、それなりにやってみたいだけ」。謙虚な口ぶりの奥に並々ならぬ気迫を忍ばせている。
■安宅
兄の頼朝に追われる身となった義経一行は山伏と強力に変装して奥州に落ち延びる途中、安宅の関にさしかかる。怪しむ関守の富樫に対し、弁慶は偽の勧進帳を即興で読み、主君の義経を打ち据えるなど命を懸けた機知で窮地を脱する。シテは、能面を着けない素顔の直面(ひためん)で演じることが多い。
※10/13追記:本日行われた公演の様子も記事になってました。
記事のお写真を拝見したら、あと10年は余裕で舞台を勤められそうな感じですね。とてもお元気そうです。それと、ワキ方(『安宅』では富樫の役)は宝生閑さんだったそうで・・・うわぁ~、もうゴールデンコンビじゃないですか!さぞかし凄い舞台だったんでしょうね。
◆喜寿の弁慶、舞い勇壮に 左京で片山九郎右衛門さん祝う会
【京都新聞 2007年10月13日】
能楽観世流シテ方で人間国宝の片山九郎右衛門さん(77)の「喜寿を祝う会」が13日、京都市左京区の京都観世会館で開かれた。九郎右衛門さんは大曲「安宅(あたか)」の主人公の弁慶役を演じ、気迫あふれる勇壮な舞いで満場の客席の拍手を浴びた。
九郎右衛門さんは京都市生まれ。1985年に博太郎の名から九世九郎右衛門を襲名。91年から能楽協会理事長を15年間務め、海外舞台も多く、日本を代表する能楽師の1人。
この日の会には、狂言方大蔵流茂山千作さん、同和泉流野村萬さん、囃子(はやし)方の曽和博朗さんら人間国宝6人、観世流と金剛流の両宗家など東西の大御所が顔をそろえた。
九郎右衛門さんは素謡「神歌(かみうた)」に続き、歌舞伎「勧進帳」の基になった「安宅」で、壮年の演者でも息の上がる弁慶役で出演。即興で偽の勧進帳を読み上げたり、主君の義経を打ち据える場面、クライマックスの豪快な男舞まで見せ場が続く曲を約1時間40分にわたって演じ上げた。