民俗学者で文化功労者の谷川健一さんが92歳で逝去

深夜に入っての突然の訃報に驚きました。高齢にもかかわらず最近まで精力的に活動されていることは耳にしていましたので、とても残念でなりません。
私が20代の時に歴史小説家の故・隆慶一郎『一夢庵風流記』(あの「花の慶次」の原作ですね)『吉原御免状』『影武者徳川家康』などを通して日本中世史の歴史学者の網野善彦さんとともにご高名を知ることとなり、谷川さんの著書を読み漁って日本や沖縄の民俗文化に強い関心を抱くようになったものでした。常に在野にあって執筆活動と同時に日本地名研究所や宮古島の神と森を考える会などを主宰して日本列島や奄美・琉球列島の伝統文化の維持と継承を強く訴えていく姿に大いに感銘を受けたものです。
謹んで御冥福をお祈り申し上げます。
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民俗学者の谷川健一さんが死去 文化功労者【共同通信 2013年8月24日】

 「谷川民俗学」と呼ばれる独自の研究を打ち立てた民俗学者で文化功労者の谷川健一(たにがわ・けんいち)さんが24日、死去した。92歳。熊本県出身。
 東大文学部卒。柳田国男、折口信夫の影響を受けながら、精力的な現地調査を踏まえた民俗学研究を独学で続けた。
 歴史の負の情念に着目し、霊魂や死生をめぐる観念の解明を軸に、独自の視点から著作活動を展開した。今も残る地名の重要性を唱えて日本地名研究所を設立。業績に対して南方熊楠賞を受賞した。
 ほかの著書に「南島文学発生論」「日本の地名」「白鳥伝説」など。近畿大教授を務めた。詩人の谷川雁さんは弟。
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民俗学者・文化功労者の谷川健一さんが死去【読売新聞 2013年8月24日】

 民俗学者で文化功労者の谷川健一(たにがわ・けんいち)さんが24日、死去した。92歳だった。
 熊本県生まれ。東大文学部卒。平凡社で「日本残酷物語」シリーズを担当、ベストセラーに。雑誌「太陽」創刊時の編集長となったが、結核のため退社、在野の民俗学者となった。
 柳田国男や折口信夫らの民俗学を発展させ、沖縄など南島の民俗に日本の古層を探るなど、豊富なフィールドワークに支えられた「谷川民俗学」を打ち立てた。1978年に「地名を守る会」を結成、81年に日本地名研究所(川崎市)を設立し、所長として歴史的な地名の保存運動にも尽力した。
 87~96年、近畿大教授。91年の「南島文学発生論」で芸術選奨文部大臣賞。92年に南方熊楠賞。2007年、文化功労者。短歌もたしなみ、01年、「海霊・水の女」で短歌研究賞を受賞した。
 主な著書に、「青銅の神の足跡」「白鳥伝説」「日本の地名」など。

 

※追記:生前の谷川さんと深い交流のあった沖縄でどのように報道がなされているのかググってみたところ、訃報記事の代わりに5年前に宮古島で開催されたシンポジウムの記事を見つけました。宮古島の狩俣地区の“ウヤガン”(豊年祈願の祖神祭)については私も昔に深い興味を持っていて祭祀が執り行われるであろう時期にわざわざ旅行に出かけたまではよかったのですが、その頃は既に途絶えた後だったのと元々外部の人間がホイホイとは見れない秘儀の神事であることを現地で知って己の不明を恥じて二重にガッカリした記憶があります(苦笑)。何事も下調べが肝心ですね・・・。
ちなみに、沖縄古来の宗教的祭祀の1つに久高島のイザイホーも挙げられますね。琉球王国時代において最高の聖域と位置づけられた久高島で生まれ育った30歳以上の既婚女性が神女となるための就任儀礼で、史料に記録される限り600年以上の歴史を持ち、来訪神信仰の儀礼として日本の祭祀の原型を留めているとされているそうですが、12年に1度執り行われるイザイホーは1978年を最後に途絶えてしまっています。本来は部外者を拒絶した秘祭ですが、この年だけは当時の久高ノロウメーギ(ノロは女司祭、ウメーギは女司祭補佐)であった西銘シズさんの特別な全面協力により研究者に公開されて写真撮影や映像記録なども認められたそうです。その成果の1つが生前の谷川さんと写真家の比嘉康雄さんのタッグによる『神々の島―沖縄久高島のまつり』です。イザイホーが途絶えてしまった直接的な事情は後継者不足によるものですが、その背景には日本政府の沖縄政策が長年にわたって過ちを繰り返してきた点にあるのは決して見逃してはならないと思います。

 

「ムトゥの集約」提案 狩俣の祭祀シンポ【琉球新報 2008年11月28日】

 【宮古島】宮古島の神と森を考える会(谷川健一会長)は23日、宮古島市平良の狩俣自治会(上原正行自治会長)と共催で神事をつかさどる神女の後継者がいないため途絶えている狩俣集落の伝統祭祀(さいし)について意見交換するシンポジウム「狩俣の神・人・自然」を開いた。9カ所ある祭祀集団「ムトゥ」を「一つに集約してはどうか」や「自治会を中心に復活させられないか」などの意見が出た。
 狩俣では神女の担い手がいないために約10年前に伝統祭祀「ウヤガン」が途絶えるなど神事が行えない状況が続いている。
 意見交換は佐渡山安公事務局長を進行役に、谷川会長、鹿児島大学の山下欣一名誉教授、沖縄国際大学の狩俣恵一教授らが民俗学の立場から狩俣の祭祀の歴史や現状などを報告。さらに狩俣の元神女らも意見を述べた。
 会場からの意見では狩俣出身で平良の市街地に住む女性が「狩俣に住んでいる時は、意味が分からないままに祈願していた。もっと由来や意味合いを知る場があればと思う」と指摘。「ムトゥがたくさんあり(神女らの)負担が大きいために後継者が出てこない。集約する形で軽減できないか」と強調した。
 これに対し上原自治会長は「難しいかもしれないが、やらなくてはいけない。各ムトゥでおばあの人数も多いので集約するとの意見も含め、やりやすい方法を考えたい」と答えた。
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〔※写真:宮古島の神と森を考える会のシンポジウム「狩俣の神・人・自然」=23日、宮古島市平良の狩俣〕
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〔※写真:狩俣の伝統祭祀で意見交換する参加者ら=宮古島市平良の狩俣集落センター 〕