葵祭・路頭の儀@京都御所、2014年5月15日

昨夜の雨も朝には止んで、予定通り執り行われることになった、今年の葵祭。でも天気予報では午後から雨のようだったので、昼までに帰るつもりで傘も持たずに出かけましたが、11時頃にはポツポツ雨粒が落ちてきて・・・それでも帰宅した時には止んでたので、このままお天気が保ってくれたらエエねんけどなぁ・・・思ってたんですが・・・
賀茂街道で観てた人はご愁傷さまでしたね(笑)。
列の中にはあらかじめ和傘のような物を持たされていた人もいたので、その恩恵に預かれた役の人たちはまだマシだったでしょうけど、たぶんごく一部だけですよね、アレ? 下鴨神社[http://www.shimogamo-jinja.or.jp/]上賀茂神社[http://www.kamigamojinja.jp/]の道程で衣装もなにもかもズブ濡れになりながら立派に務めを果たされた方々は本当にお疲れさまでした。

 

緑ぬれ古都華やぐ 葵祭、平安王朝の雅を再現【京都新聞 2014年5月15日】

 京都三大祭りのトップを飾る葵祭が15日、京都市内で繰り広げられた。平安王朝の雅(みやび)を再現する行列が、フタバアオイを揺らしながら新緑まばゆい都大路を、しずしずと進んだ。
 曇り空、気温19・4度(京都地方気象台調べ)。総勢約500人、牛馬計40頭の行列は午前10時半、「路頭の儀」として、京都御所(上京区)の建礼門前を出発した。前方の「本列」では神への供え物を収めた「御幣櫃(ごへいびつ)」が運ばれた。いっとき小雨もぱらついたが、牛車が車輪を「ギシギシ」ときしませ、行列で最高位の近衛使(このえづかい)代は威儀を正して進んだ。
 あでやかな「斎王代列」(女人列)が後に続いた。玉砂利を鳴らす命婦(みょうぶ)に先導され、十二単(ひとえ)姿の斎王代、神戸大2年の太田梨紗子さん(20)が乗る腰輿(およよ)が近づくと、見物客は席を立ってカメラのレンズを向けた。沿道では約2万3600人(午前11時現在、京都府警調べ)が見守った。
 行列は下鴨神社(左京区)で「社頭の儀」に臨み、午後に上賀茂神社(北区)に向かう。
 葵祭は両神社の例祭。正式には「賀茂祭」といい、起源は6世紀までさかのぼる。
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〔※写真:小雨の中、新緑の京都御苑内を進む葵祭の行列(15日午前、京都市上京区)〕

 

葵祭=賀茂祭、元はといえば朝廷の祭祀で、御祭文を奉納する勅使に伴って行った斎王―賀茂社に御杖代(巫女)として仕えるために皇室から差し出された内親王や女王―、現代では斎王のような制度がない―そもそも日本国憲法下では設定不可でしょうけど―から斎王‘代’、つまりは代わり。ですが朝廷が賀茂社に国家安寧と五穀豊穣を祈願するのが由来になってる例祭ですので、それがお天気悪くてポシャったのでは現代人でもあまりいい感情しないですよね(苦笑)。
今年は何時ぞやのような順延も中止もなく、途中から雨に遭っても最後の上賀茂神社まで強行したようですが、斎王代を務めた人の実家がご商売やってて、しかも記憶のいい京都人なら10年前の一件を覚えてるでしょうし(『老松』で買ったことのない私ですら忘れてないのですから・苦笑)、縁起については微妙でしょうね。まぁお嬢ちゃん自身じゃなくて親御さんの精進が足らへんかったんや(苦笑)ちうことで・・・ともあれ、今年の斎王代を務めた神戸大2年の太田梨紗子さん、先月のニュース記事で写真を拝見した時にはチャーミングな感じというか可愛らしいお嬢さんやなという印象を受けたのですが、予想通り十二単姿もなかなかの美人さんでした。
以下、清所門を出るところから建礼門前で回る様子までをパパパっと↓(クリックで拡大)
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