実家に帰省中、妹に無理を言って車で連れて行ってもらいました。場所は、現在は長崎市に併合された外海地方にある、黒崎天主堂と出津(しづ)天主堂です。私もですが、一緒に行った母も妹も全く初めて行く場所でした。
このあたりは遠藤周作の『沈黙』の舞台にもなった場所ですので、ご存知の方も多いのではと思います。私は『イエスの生涯』と『キリストの誕生』を以前読んで大いに感銘を受けたのですが、元来が小説を苦手としている人間なので恥ずかしながら『沈黙』は未読です。
この日は黒崎天主堂→遠藤周作文学館→出津天主堂という経路で行きました。
(長崎の教会に関しては『長崎の教会』というサイトを参考にさせていただきました。あと、長崎を中心に教会建築を数多く手懸けられた鉄川与助氏の御親族の方のHPもあって、いつも興味深く拝見させていただいています。よかったらどうぞ。)
まずは黒崎天主堂から↓
黒崎天主堂は1920年築のレンガ造りで、国道から続く石段を上りきると、晴れた空のように優しい水色の服をまとったマリア様の像が迎えてくれます。総レンガの中は大きな木の柱と白い壁で形作られていて、威圧感を感じることなく、とても落ち着いた雰囲気です。
今日は青空に時折雲が混じる程度の好い天気でしたので、外から明るい光がさしこんで優しく室内を包み込むような感じでした。まるで神様に温かく見守ってもらっているような気にすらなって(あいにく私のところは家族全員クリスチャンではないけれど)、1人で訪れていたのならお祈りする時間も含めて軽く1時間は佇んでいたでしょう。
私たちが訪れたときにちょうど女性の方(信者さん?)が祭壇の周りを掃除されていたのですが、そのちょっとした仕草からと長い年月が経っているにもかかわらずきれいに保存されている状態を見て、この建物を何代にも亘って大勢の方々がとても大切にされているのを感じました。
次に向かったのが遠藤周作文学館
[http://www1.city.nagasaki.nagasaki.jp/endou/]
展示物等はホームページで確認していただくこととして、周作ファンは必見でしょう。収蔵されている品々はもちろんなのですが、外の眺め・・・見渡す限りの海で一見美しいように思えますが、ここの立地状況や周囲の風景をよく見渡すと車社会の発達した現在でも決して暮らしやすい場所ではないことが実感できる場所・・・に目を移すと、なぜここが『沈黙』の舞台たりえたかよくわかるのではないでしょうか。
さらに次の目的地、出津天主堂へ↓
出津天主堂は黒崎天主堂から少し北西の方にあって、近くに旧出津救助院もあります(うっかりしてて立ち寄るのを忘れましたが・・・)。
外も内も白を基調とした慎ましながらもきれいな建物ですが、元はド・ロ神父の設計と指導による1,880年代の建築だそうで、数年前に改築工事があったようです。中は木造で、こちらも信者の方々が何代にも亘って大切に守り伝えてきたことがすぐにわかるほどきれいにされてありました。
天主堂の近くには旧出津救助院があり、このあたりはド・ロ神父が後半生を捧げた土地なのですが、下の写真を見ていただくとわかるように↓
ただでさえ人が生きること自体が大変そうなところで、御苦労もひとしおだったのではと思います。
現在ではこれら神父様ゆかりの建物が、26年前に開館の長崎市外海歴史民俗資料館とあわせて出津文化村を形成しているようです。
↑の写真のように、外海は海から山がせり上がったような地形が続くところですので、国道からの眺めが素晴らしい代わりに昔も今もさほど人が大勢住めるところではないのですが、教会の予想以上の大きさにまずビックリしました。2つとも楽に数百人は入る大きさですが、出津より黒崎の方が一回り広いかな、という感じです。
いつまでも大切に残っていてほしい・・・クリスチャンでない私や母と妹ですら一致してそういう印象を持った、そんな天主堂でした。