大変興味深いというか、読んでて「やっぱりな」と得心のいく記事がアップされてましたので、ここに紹介を。
ふるさと納税を生んだ元官僚・高橋洋一 菅義偉を操る面々|森功(週刊ポスト2020年12月18日号)
年末の申し込み期限に向けて申請が増える「ふるさと納税」。菅義偉首相はことあるごとに自らが発案者であると胸を張り、反対する官僚たちに「ぜったいにやるぞ」と啖呵を切ったと、自著『政治家の覚悟』で明かしている。だが、この政策はもともと、元官僚の発案だった。ノンフィクション作家の森功氏がレポートする。(文中敬称略)
ふるさと納税自慢はもはや聞き飽きたという人も少なくないだろう。高額返礼品や金持ち優遇への批判も巻き起こった。が、当人はどこ吹く風。今なお怪気炎を上げる。
「近い将来、(年間寄付総額)1兆円を目指す」
ふるさと納税は第一次安倍晋三政権の2007年6月、総務大臣だった菅義偉が、「地方創生」の旗印を掲げて打ち出した。都市部の住民が地方自治体へ寄付してふるさとを応援する、と謳っている。もっとも、2000円の自己負担を除き、寄付金のほぼ全額が従来納税している自治体や国から戻ってくる。単なる税の移動制度であり、おまけにそこへ豪華な返礼品がついてくる。まるで高級なカニや牛肉を2000円で手にするネット通販のような感覚で、ブームになった。
地方活性化を謳いながら、政策をよくよく見ると、制度そのものが富裕層に有利な税体系になってきた。金持ち優遇批判が絶えない所以だ。
当人が自慢するそのふるさと納税は、独自に編み出した政策ではない。元をたどれば、福井県知事の西川一誠による発案で、そこに総務大臣として初入閣した菅が飛びついたわけだ。が、実は西川の直伝でもない。
「菅さんにふるさと納税を授けたのは、元財務官僚の高橋洋一さん(65)でしょう。全国自治会で西川さんがふるさと納税について発言し、2006年に日経新聞の『経済教室』に西川さんが書いた。それを見つけた高橋さんが菅さんに提案したはずです」
菅のふるさと納税導入の舞台裏をそう打ち明けるのは、元総務官僚の平嶋彰英だ。
「菅さんは、小泉政権時代の竹中平蔵総務大臣に副大臣として仕えたことが、政治家としての転機になっています。菅さんはその後、竹中さんから総務大臣を引き継いだ。そのとき『高橋君の言うことを聞いたらいいよ』とアドバイスされたと聞きました。高橋さん自身も『私がふるさと納税を菅大臣に進言した』と言っていました」
平嶋は総務次官候補と目されていた。だが、第二次安倍政権の2015年当時、自治税務局長の職にあり、高額返礼品の過当競争などふるさと納税の欠陥について菅に意見したばかりに、出世街道から外されてしまう。この年7月の定期人事で自治大学校の校長に左遷され、次官になれないまま2016年に退官する。
竹中は菅が政策の師と仰ぐ文字どおりのブレーンだが、その竹中が頼りにしているのが、元財務官僚の高橋なのだという。ある財務官僚が解説する。
「世間では竹中さんを政策通だと見ているようですが、実際には説明がうまいだけで、さほど政策に詳しいわけではありません。竹中さんは高橋さんを理論的な支柱にし、具体的な政策はコンサルタントの福田隆之さん(元官房長官補佐官)に立案させてきた。どれも竹中、高橋ラインの新自由主義的な政策ですから、ふるさと納税が金持ち優遇になるのは、ある意味、当たり前なのです」
嘉悦大学教授の高橋は菅内閣発足に伴い、内閣官房参与として政権に加わった菅ブレーンの一人でもある。東京都立小石川高校から東大理学部に進んで1978年に卒業したのち、経済学部に再入学し、1980年に2度目の卒業をして旧大蔵省入りする。この間、旧文部省の統計数理研究所の非常勤研究員として働いた経験もある。
大蔵省の1980年同期入省組には、国民民主党の岸本周平や自民党の後藤茂之、元財務事務次官の佐藤慎一や元金融庁長官の森信親などがいるが、そんな中でも高橋の頭脳明晰ぶりは知られていた。
もっとも官僚時代の高橋は次官レースに乗るほどの出世は見込めず、むしろ不遇といえた。大蔵省では、理財局資金企画室長を経てプリンストン大学客員研究員となる。
分岐点となったのは、2001年の小泉純一郎内閣誕生だろう。経済財政政策担当大臣に抜擢された竹中の補佐官となり、これ以来、高橋は竹中との関係を深めていく。2006年の第一次安倍政権発足時に内閣参事官となり、官邸入りする。前述したように、このときふるさと納税を菅に進言している。
この頃の高橋は、千葉商科大大学院政策研究課程に通い、2008年3月に内閣参事官退任とともに霞が関を去る。ふるさと納税は高橋のアドバイスに従い、菅総務大臣が「ふるさと納税研究会」なる有識者会議を立ち上げたところから始まった。研究会は高橋の通った千葉商科大学学長の島田晴雄が座長に就き、10人の有識者で構成される。そこには福井県知事の西川も加わっていた。
もっとも初めは菅自身、ふるさと納税がこれほど大きな政策になるとは考えてもみなかったに違いない。ちなみに菅が総務省で研究会を立ち上げる1年前、2006年9月の自民党総裁選には、谷垣禎一が「ふるさと共同税」と命名して似たような政策を提唱し、ほとんど注目されないまま立ち消えになっていた。ふるさと納税はその二番煎じの政策でもあったわけである。
事実、当初はパッとしなかった。スタートした2008年度の寄付はわずか5万4000件、金額にして81億4000万円でしかない。そこから4年後の2012年度でも寄付は12万2000件、104億1000万円とまったく振るわなかった。
それがなぜここまで増えたのか。その立て役者が「トラストバンク」社長として(現会長)、ポータルサイト「ふるさとチョイス」を運営してきた須永珠代(47)にほかならない。菅が頼りにしてきた女性ベンチャー経営者であり、“ふるさと納税の女王”との異名をとる。
須永は大学卒業後、アルバイトや派遣社員として会社を転々とし、ITベンチャー企業でサイト立ち上げ事業に携わって38歳で独立する。2012年4月、トラストバンクを設立し9月にふるさとチョイスを開設した。自治体に売り込んで寄付額を飛躍的に伸ばし、日本中にブームを巻き起こす。
ふるさと納税はこの間、制度も変わった。寄付に対する控除の下限である自己負担分が11年以降5000円から2000円に引き下げられたことが大きかった。
そしてふるさとチョイス開設から3か月後の2012年12月、第二次安倍晋三政権が発足。官房長官に就任した菅は再びふるさと納税に力を入れた。そこに協力したのが、須永である。
「ふるさと納税は須永さんがいればこそ、あそこまで大きくなったといえます。それまで自治体の口コミでしか広がりはなかったが、ふるさとチョイスの登場により、サイトに載せれば寄付が集まるようになったのです」
ある自治体の担当者はこう話す。
「菅さんも彼女にぞっこんで、総務省の有識者会議にも彼女を入れた。会議は彼女がいなければ成り立ちませんでした。ふるさとチョイスの扱い量はピーク時のシェアで寄付額全体の7~8割に達し、どこの自治体も彼女に取り入ってサイトのいい場所に自分のところの返礼品を載せてもらおうと、須永詣でを繰り返してきました」(同前)
ふるさと納税がネット通販のような扱いになったのもここからだ。ふるさとチョイスの開設翌2013年度の寄付件数は前年比3.5倍の42万7000件に急増。金額にして145億6000万円に跳ね上がった。
「ふるさとチョイスでは毎年秋、東京ビッグサイトやパシフィコ横浜で大感謝祭というイベントを主催してきました。そこには100を超える自治体がブースを設置し、地元の名産をPRするのですが、須永さんに対する機嫌取りみたいなもの。菅さんも官房長官として毎年、駆け付けて挨拶をしてきました。今年はコロナで中止になったけど、オンラインでやっていました」(同前・自治体の担当者)
ふるさと納税は当初、寄付金の上限が個人住民税の1割までとされていたが、2016年度から倍の2割に引き上げられた。また面倒な確定申告を省略できる「ワンストップ特例制度」も創設された。
そうしてふるさと納税は急カーブを描いて膨らんでいった。2018年度の寄付は2322万4000件、5127億1000万円。初年度に比べて実に63倍の寄付総額という成長ぶりである。
だが、ふるさと納税はしょせん金持ち優遇批判が絶えない欠陥税制である。寄付金の上限が所得税や住民税の多寡によって決まるため、収入の多い人ほど寄付控除額が多くなる。
2年ほど前から高額返礼品競争が過熱し、総務省が寄付金額の3割までに規制したのは周知の通りだが、それでも富裕層にとってはかなりありがたい。たとえば年収1億円の大金持ちが100万円を寄付し、返礼品として30万円相当の高級和牛を大量に手に入れる。自己負担分の2000円で30万円の牛肉をネットで買うようなものだ。
そしてふるさとチョイスをはじめとしたサイト業者には、年間400億円以上の手数料が入る。須永は今年に入ってトラストバンク株を手放し、社長から会長に退いて悠々自適に暮らしているという。まさしく富裕層とネット業者のための新自由主義政策が、ふるさと納税にほかならない。
【プロフィール】
森功(もり・いさお)/ノンフィクション作家。1961年福岡県生まれ。岡山大学文学部卒。新潮社勤務などを経て2003年よりフリーに。2016年に『総理の影 菅義偉の正体』を上梓。他の著書に『官邸官僚 安倍一強を支えた側近政治の罪』『ならずもの 井上雅博伝 ヤフーを作った男』など。