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◆TUP速報1021号 「中東人」と呼ぶなかれ【TUP:法貴潤子 2021年7月13日】
◎その言葉に潜む意味。無意識に使っている植民地主義の遺産にご用心!
本稿は、レバノンを拠点とする汎アラブの新しいメディア、「Raseef 22」に掲載された”Don’t call me ‘Middle Eastern'”の邦訳である。「Raseef」とはアラビア語でプラットフォームという意味、また「22」はアラビア語を母国語とする22カ国のアラブ諸国を表している。2011年に始まった「アラブの春」の後に出て来た、比較的新しく、若者の声を中心に伝えるメディアだ。
植民地時代、ヨーロッパの支配者たちは、自分たちから見て東にある近・中距離の地域を「中近東」、または「中東」と呼んできた。しかしこの地域に住む人々にとっては当然、そこは「中東」ではなく、また日本を含む、より東側に住むアジアの人々にとっても、この地域は「中東」ではない。むしろ東アジアから見れば、地中海沿岸やペルシャ湾岸地域などは「西」にある。けれども日本語では、ヨーロッパの列強が植民地時代からずっと使って来た「中東」という言葉を、一般的な会話、ニュース、はたまた「中東」研究者に至るまで、ほとんどの人が疑問を呈することなく使ってきた。
筆者が指摘するように、本来であれば、現在「中東」と呼ばれている地域は、まだあまり広く使われていない「西アジア」という地理的な区分で呼ばれるのが妥当だろう。しかし、これを読んで今後は「西アジア」という言葉を使おうと決めた途端、問題にぶつかった。ソーシャルメディアのハッシュタグを付ける際、「中東」であれば多くの人の検索にヒットするかもしれないが、「西アジア」ではあまり検索に引っかからないのではないか、という問題だ。
そのようなわけで、当面は「西アジア」という言葉の普及に努めつつ、ハッシュタグは両方つけることになりそうだが、本稿は普段何気なく使っている言葉にも、植民地主義の遺産が潜んでいることを気づかせてくれる。
(前書き・翻訳:法貴潤子/TUP)
ロアイ・クレイシュ
レバノンから移住して米国で初めて高校へ行った日、事務の人は僕に用紙を渡し、アジア人、黒人、ヒスパニック、ネイティブ・アメリカン、あるいは白人コーカサス人の中から当てはまるものを選ぶように言った。
僕は思った。うーん、コーカサス人って何か分からないし、ヒスパニックっていうとスペイン語を話す人たちみたいだ、それに僕は黒人でもネイティブ・アメリカンでもないな。
僕は「アジア人」に印をつけた。
レバノンは結局のところ、アジアにあるし。
「あなたはアジア人じゃない!」と事務の人は、テキサス訛りで僕に吠えた。そしてすぐさまアジア人にバツをつけて、「白人コーカサス人」の欄に印をつけた。
白人コーカサス人?僕はうちに帰って真っ先に、この言葉の意味を調べた。コーカサス人の定義は、ヨーロッパ、北アフリカ、西アジアにルーツを持つ人だ。ということは僕もそうだったということかな、…9月11日までは。宗派間の分断がある国(訳注:レバノンのこと)から逃げて来たのに、別の国で人種区分の洗礼を受ける羽目になったんだ、とその後何年もしてから気付いた。
僕にとって「白人」は単に書類を埋める時に使う言葉で、自分との繋がりを感じることはなかった。
僕の訛りを聞いて、「どこから来たの?」と聞く他の学生たちに、レバノンだよと胸を張って答えると、次の質問はいつもこうだった。「なんで君の目は青いの?」
この質問はいつも僕を面食らわせた。なんて答えていいか分からなかった。自分が持つ権利のないものを、侵害しているような気分にさせられた。そしてこういうやりとりの相手は、少しは世界のことを知っている学生だったのに。
地理のことを全然知らない人たちは、必ず「レバノン?それどこ?」と聞く。
僕はレバノンが中東にあると言ったことは1度もない。これは僕にとって不自然な言葉だ。この言葉を聞くと、既にたくさんのネガティブなことを連想するようになっていた。僕にとってレバノンは常に、地理的、歴史的、文化的に地中海と繋がっている。でも米国では、東地中海から来た人々は地中海人とは認識されないことになっている。これは、ギリシャ人、イタリア人、スペイン人などのヨーロッパ人のみに許された特権だ!
僕が子どもの頃、母が「ダイナスティー」を観ながら、俳優のジェフリー・スコットが「アラブ人の子」に見えると言っていたのを思い出す。母は彼が中東人に見えるとは言わなかったが、それは様々ある現地の言葉をもってしても、アラブ人は自らのことを「中東人」などとは言わないからだ。この言葉はアラビア語ではとても奇妙に聞こえる。
でも911の後、僕は「白人コーカサス人」という分類とそれに付随する特権を放棄し、もうひとつの馴染みのない言葉である「中東人」というアイデンティティを持つことを余儀なくされた。
アラブ人、アルメニア人、クルド人、イラン人、トルコ人と話してみると、彼らのほとんども「中東人」というラベルを拒否していることが分かった。この拒否反応は、2006年に米国の国務長官コンドリーザ・ライスが、イスラエルのレバノンに対する戦争を「新しい中東の産みの苦しみ」と形容した時、アラブ世界の人々の間で見られた。これは、サイクス・ピコ協定と、長きにわたり国境など存在しなかった地域に西洋人が恣意的な国境線を引いたことを思い出させる言葉だ。「中東」という言葉は、その人が自決権や自らのアイデンティティを剥奪されていることを表している。
「中東」という言葉は、英国の植民地主義者が作りだし、米国の軍隊によって広められたもので、南アジアや東ヨーロッパなどのように、それ自体が地理的地域を指すものではない。この地政学的、人工的に作られた地域に含まれる国々は、その時々だ。どの国が中東に含まれ、どの国が含まれないかは欧米の列強が決める。僕たち抜きで。英国統治下において、まるで魔法の杖の1振りのように中央アジア諸国や、実際は南アジアの国であるパキスタンまで含まれ、拡大された。
歴史家にはしばしば、文明のゆりかご、そして一神教の誕生地と呼ばれ、何千年も続く古い町々を擁するレバント地方、そこから来たレバノン出身の僕が、なぜ100年にも満たないヨーロッパ中心主義、植民地主義、帝国主義の言葉で自分を定義されなければならないのか。
僕が「中東」というラベルを張られることを拒否するのは、その代わりに白人とかコーカサス人と呼んで欲しいからではない。
オスマン帝国から米国への最初の移民は、レバノン人とシリア人だった。エリス島に到着した彼らは、僕の学校の事務の人がしたのと同じように、移民管理局の役人に見た目で人種を特定された。ほとんどのシリア人やレバノン人は、地中海から米国へやってきて、白人に分類された人々と同じような見た目だった。この分類は重要で、これなしには市民権を得られなかった。
ジョージ・ダウの例を見てみよう。
1914年、シリア移民のダウはエリス島に到着し、アメリカン・ドリームに胸を弾ませていた。しかし彼はどうやら他のレバント地方の人々より濃いオリーブ色の肌をしていたようで、非白人に分類された。これは彼が米国市民になることの邪魔になるだろう厄介な分類だった。シリア人やレバノン人だけでなく、イタリア人、ギリシャ人、スラブ人移民の「白さ」さえも、20世紀初頭には問題にされた。
しかしシリア・アメリカ協会はこの決定に対して米国政府を訴え、その弁護にイエス・キリストを引き合いに出した。彼らの論点は、シリア人が白人でないのなら、シリアがあるレバント地方で生まれたイエスも白人ではないことになる、と。1915年にイエスが非白人であると宣言するような裁判官はいなかったため、ダウは裁判に勝ち、自由な白人男性として米国で暮らせることになった。
ダウの裁判の後、白人米国社会はおおむね、レバノン、パレスチナ、シリアからの移民を特権クラブの一員として歓迎した。例えば、レバノン系米国人の俳優であるダニー・トーマスは、1950年代にオランダ人であったジーン・ヘーガンの夫役を演じた。2人とも白人として扱われ、彼らの映画の中の関係は異人種間交際ではない、つまり多くの州でまだ適用されていた異人種間結婚禁止法には引っかからない、とみなされた。
数十年後、別のレバノン系米国人俳優、トニー・シャルフーブはテレビでヨーロッパ系人物の役を演じることができたのに、似たような肌の色を持つエジプト系米国人のラミ・ユーセフにはそれができなかった。
なぜか?
それは多分、トニー・シャルフーブは911の前に有名になっていてキリスト教徒だったのに対し、ラミ・ユーセフは911後に有名になったムスリムだったからだろう。
911の後、アジアや北アフリカからの移民が増え、彼らの肌の色がより濃く、ムスリムであることが多かったため、彼らが白人特権クラブに入ることは再び疑問視された。
こんにち、アラブ、アルメニア、アッシリア、チェルケス、イラン、クルド、シリアック、トルコにルーツを持つ米国人の多くは、しばしば人種欄のどれに印をつけたらよいか迷う。元祖人種のるつぼ地域から来た僕たちは、肌の色で自らを定義することに慣れていない。
ノース・テキサス大学にいた頃、僕にはアフリカ系米国人とスーダン人の2人の友人がいた。ある日、アフリカ系米国人の友人がスーダン人の友人について、彼が自分の肌の黒さを認めず、自身を黒人ではなくアラブ人だと定義していることをなじった(訳注:アラブ人の定義はアラビア語を母語とする人々であり、スーダン人の多くはアラビア語が母語)。米国人、特に肌の色で区別される黒人男性にとって、他のアフリカ人がなぜ別の人種を名乗りたがるのか理解するのは難しかった。
そのスーダン人の友人のように、僕たちはよく、白人、黒人、アジア人のうちどれか選ぶよう強制される羽目になるが、これは僕たちの文化アイデンティティをちゃんと反映していない。
では、僕たちは何者なのか?
まず、「中東人」とか「褐色」でないことは確かだ。なぜなら僕たちのうち、ルクソールやハルツームには黒い人もいるし、アレッポやベイルートには金髪や青い目の人もいる。
より多くの人たちが、北アフリカとか西アジアのように、実際の地理的地域を反映した言葉を使うようになってきている。でも北アフリカは浸透してきている一方で、西アジアはまだあまり浸透していない。
理由は?
白人の同僚によると「ややこしすぎる」そうだ。「アジアが西なんてね、西はヨーロッパがあるところでしょ?」
彼女の無知は、テキサスの学校で地理が教えられないから、ということにしておこう。
ヨーロッパ系の人々は、「西」という言葉とそれに付随するポジティブな意味合いを独占してしまった。白人特権のもうひとつの形だ。これがよく「西アジア」に「南」を付けて使われる理由だが、これも受け入れ難い。
「南」という言葉は、低所得で未開発の国々を指す時によく使われるもうひとつの地政学的言葉で、ネガティブな意味合いを持つ。包括的でありたいなら、南西アジアではなく「西アジア」という言葉を使うことは重要だ。モロッコはスペインと同じくらい西だし、アルメニア、トルコ、シリアはフランスやイタリアの一部と同じくらい北だ。イランからモロッコ、アルメニアからスーダンまでの広大な地域を含みたいのなら、西アジア・北アフリカ(West Asia – North Africa/WANA)が最適なオプションだ。
僕たちはみんな、きっぱりと「中東」という言葉を拒否するべきだ。
でもそこで止まってはいけない!
僕たちが自らのことを西アジア系米国人、北アフリカ系米国人と呼ぶならば、米国の制度的人種差別の骨頂ともいえる、「白人」という言葉を使わないことも奨励するべきだ。
「白人」も、アフリカ系米国人、アジア系米国人、ラテン系米国人、ネイティブ米国人のように、ヨーロッパ系米国人として分類されるべきだ。
「白人」という言葉を削除することにより、すべての人が何系かで言い表される。
これでこそフェアというものだ!
今こそその特権を覆し、白人を僕たちから見た彼ら、つまりヨーロッパ系移民の子孫として認識する時だ。
(ロアイ・クレイシュは、誇り高きレバノン人、レバント人、地中海人、西アジア人、そして米国人だが、断じて中東人ではない)
原文:”Don’t call me `Middle Eastern’” by Louay Khraish
Raseef22, Friday 16 July, 2021
URI: https://raseef22.net/article/1083546-dont-call-me-middle-eastern