メーカー落ちぶれ組=富士通、NEC、日立製作所・・・東芝もですよね

日経クロステックの名物コラム「木村岳史の極言暴論!」、今日付で掲載されたコラムもキレッキレでした。日本企業が世界の時代の潮流から取り残されているのを、明快に可視化して文章にされているので、読んでいていつも勉強させてもらってます。

今回のコラムで
“メーカー落ちぶれ組とは、もちろん富士通、NEC、日立製作所のことだ。”
とズバリ指摘されていますが、ハードにおける東芝も付け加えていいかもしれません。

 

栄光のメーカーから落ちぶれたSIerの経営者よ、「猿まね力」がないなら変革は無理だぞ【木村岳史@日経クロステック 2021年12月23日】

 少し前のことだが、大手SIerの人がこんな話をしていた。「我々もご用聞き商売をやっていては先がない。GAFAを見習って、きちんとマーケティングをして自らの製品やサービスを提供できるようにならなければ」。その心意気やよし、と言いたいところだが、そのSIerがこれまでたどってきた道のりをよく知っているだけに、「そんなことを言うぐらいのレベルまでに落ちてしまったか」と複雑な気分で聞いていた。

 そのSIerはかつて国産コンピューターメーカーと呼ばれる存在だった。人月商売、ご用聞き商売の親玉であるSIerは、その出自から幾つかにグルーピングできる。1つ目は、設立当初からソフトウエアの受託開発を手掛けてきたITベンダーがSIerへと成長した「人月商売ネーティブ組」。2つ目が、ユーザー企業のシステム子会社がいわゆる外販(実態はソフトウエアの受託開発だが)も手掛けるようになり、SIerへと成長した「システム子会社転身組」だ。

 で、3つ目のグループは、国産コンピューターメーカーがメーカーとして立ち行かなくなった結果、SIerに身をやつした「メーカー落ちぶれ組」。前述の通り、冒頭のSIerはこのメーカー落ちぶれ組だ。もちろん、こうした単純な分類に当てはまらないSIerもある。そういえば、人月商売のIT業界の最大手であるNTTデータは、NTTでデータ通信サービスを手掛けていたデータ通信本部が独立して誕生したから、どのグループでもないな。

 SIerをグルーピングしておきながら、こんなことを言うも恐縮だが、実はSIerを出自でグルーピングする意味はほとんどない。水は低きに流れる、という言葉があるが、まさにSIerがその典型だ。先ほどグルーピングした際に「SIerへと成長した」などと書いたが、あれは嘘である。「SIerへと退化した」とするのが正しい。ITベンダーはSIerに変貌していく過程でそれぞれの特徴を失い、どの会社も皆、人月商売の親玉になった。水は低きに流れ、全てが一番下にたまる、という状態である。

 そういえば、SIerがシステムインテグレーターの略称だと知らなかった若手技術者がいて、ちょっと驚くとともに「確かにそうかもな」と思ったことがある。システムインテグレーターの本来の仕事は、様々なハードウエアやソフトウエアなどを組み合わせて1つのシステムをつくることだ。組み合わせて1つにする(インテグレーションする)から、インテグレーターなのである。だから若手技術者がSIerの「正式名称」を知らなくても、当然と言えば当然なのだ。

 何せ今のSIerの仕事の大半は、システムをインテグレーションする必要がない。サーバーなどのハードウエアはコモディティー化して久しく、どれを選んでも同じだ。OSはWindowsやLinuxなどに限られ、データベースやミドルウエアも定番の組み合わせがある。あとはERP(統合基幹業務システム)などを使うか使わないかにかかわらず、客のご用を聞いてアプリケーションをつくるだけ。つまりSIerはどこも皆、受託ソフトウエア開発の親玉であり、個性や特徴が入る余地などないわけだ。

●メーカー落ちぶれ組のSIer が猿まねすべき企業とは

 さて、メーカー落ちぶれ組のSIerだが、もちろん栄光の国産コンピューターメーカーの名残(本当は「残りかす」と言いたいが、さすが失礼過ぎるのでやめた)はある。ハードウエアやソフトウエアなどをつくって販売しているから、今でもコンピューターメーカーと言えないことはない。だが、1990年代半ばあたりから製造業としては没落し始めて、SI(システムインテグレーション)という名の受託ソフトウエア開発が主力事業となる。ご用聞き商売、人月商売の親玉となったわけだ。

 社名を出さないで「落ちぶれた」などと言っているのも感じが悪いので、はっきり書いてしまおう。メーカー落ちぶれ組とは、もちろん富士通、NEC、日立製作所のことだ。日立は最近「IT×重電」などでDX(デジタルトランスフォーメーション)に成功しつつあるとの評判だが、私は留保をつけさせてもらう。IT部隊だけを見ればSIerであることに変わりがないからだ。この3社にNTTデータを加えた4社が、ハイテク産業のふりをした労働集約型産業であるIT業界で親玉中の親玉として君臨しているわけだ。

 そんな訳なので、メーカー落ちぶれ組のSIerも完全にご用聞き商売、人月商売の毒がいろんなところに回ってしまった。だからこそ、記事冒頭のメーカー落ちぶれ組のSIerの人の話を聞いて、私が「そんなことを言うぐらいのレベルまでに落ちてしまったか」と思ったわけだ。だって、そうだろう。いやしくも栄光の国産コンピューターメーカーだったのだから、本来なら「昔のように自らの製品やサービスを提供できるようにならなければ」と言うべきところだ。すっかり毒が回って、自らの原点を忘れてしまったのだろう。

 もう1つ言っておけば、なぜ「GAFAを見習って」などと言うのであろうか。栄光の国産コンピューターメーカーだった頃は「IBMを見習って」と言っても、違和感はなかった。何せIBMメインフレームの互換機をつくるほどの猿まね力があったからだ。だが今のGAFAはメーカー落ちぶれ組のSIerにとって雲の上のまた上の存在。見習おうにも、猿まねしようにも、どだい不可能だ。「GAFAを見習って」と言ったところで、結局は「GAFAを見習うような能力はありませんでした」ということにしかならないだろう。

 そもそも、なぜもっと手近な例を猿まねしようとしないのだろうか。つまり、自分たちの客から「商いの道理」を学べばよいではないか。SIerの客である日本企業の多くは、GAFAのような巨額な投資や派手なマーケティングはできないとはいえ、リスクをとって投資し、きちんとマーケティングをして自らの製品やサービスを提供している。そんな「お客さま」に学ばせていただくわけだ。メーカー落ちぶれ組以外のSIerも含め、そんなところから企業としてのリスキリング(学び直し)に取り組んだほうがよいぞ。

 SIer、そして下請けITベンダーの人月商売がアカンところは、単にハイテク産業のふりをした労働集約型産業として、技術者を酷使し使い捨てにすることだけではない。前回の記事でも多少触れたが、経営が堕落してしまうことも大問題だ。何せ客のご用、つまり利用部門のどうでもよい要求を聞いて仕様を膨らませるだけでもうかる。自らリスクをとって投資とマーケティングをして、潜在的な客に受け入れてもらうといった活動が一切不要だ。

 本来、ご用聞き商売、人月商売であっても多少はマーケティングが必要なはずだが、現実にはほとんど無用だ。一度、客にへばりついてしまえば、よほどのことがない限り切られることはないからな。それに製品やクラウドサービスなどを提供する外資系ITベンダーがある意味、マーケティングを「代行」してくれる。SIerは彼らの販売代理店として活動すればよい。で、客の望むままにカスタマイズなりアドオン開発などにいそしめばよい。メーカー落ちぶれ組のSIerに回った毒とはこのことである。

●iPhoneは仕方がないが「量子」がこれでは

 そういえば、栄光の国産コンピューターメーカーがSIerへと落ちぶれた理由について、次のような一般的な認識がある。IT産業がメインフレームなどハードウエア中心の時代だった頃は、国産コンピューターメーカーはIBMなど米国のコンピューターメーカーを猿まねできた。なぜならば、国産コンピューターメーカーは製造業だったからだ。日本の他の製造業と同様、米国製品を完璧にコピーして同等か、それ以上の性能のコンピューター製品をつくるのはお手の物だった。だが、ソフトウエア中心の時代になると猿まねが難しくなり、没落の道をたどった。

 この一般的な認識は「猿まね」との表現を差し障りのない「模倣」に改めれば、メーカー落ちぶれ組のSIerの人も「そうなんだよなぁ」と同意してくれるだろう。もちろん私も、国産コンピューターメーカーが落ちぶれたのは、ソフトウエアの重要性やビジネスのやり方を理解しなかったので猿まねできなかったと、ずっと主張してきた。だけど最近、本当にそうなのかと疑念が生じるようになった。

 確かに、ソフトウエアが大の苦手であったことは間違いない。メインフレーム時代にも、一部の国産メーカーはIBMメインフレームの互換機をつくり続けるために、OSなどの情報を入手しようとして、FBI(米連邦捜査局)のおとり捜査に引っ掛かって逮捕者を出すという醜態をさらしたほどだ。だから、ハードウエアがコモディティー化し、ソフトウエアが付加価値の中心となり、さらにソフトウエアをサービスとして売るクラウドの時代になるに従い、落ちぶれていったのは仕方がない。

 ただし、猿まねできなくなったのは、ソフトウエアやその延長線上にあるクラウドサービスだけなのか。実はご用聞き商売、人月商売の毒に全身をむしばまれて、ハードウエアを猿まねすることすらできなくなっているのではないか。最近、そのような確信を持つに至った。ものづくりを原点とする企業であったにもかかわらず、ハードウエアというモノすら猿まねできなくなってしまったら、もはや人月商売ネーティブ組のSIerと何ら変わるところはない。

 そういえばiPhoneが登場したとき、iPhoneを分解したメーカー落ちぶれ組のSIerの経営者が「うちで造れないモノは何一つないのに、なぜiPhoneのような製品をうちで造れないのだ」と嘆いたというのは、有名な話だ。ただしiPhoneの猿まねができないのは、ハードウエアを猿まねできないのと少し違う。iPhoneというモノにソフトウエアやクラウドサービスをまとわせるというビジネスのやり方が、猿まねできないのだ。だから、猿まねできなくて当然といえば当然なのだ。

 だが、最近何かと話題になる量子コンピューターとなると話は別だ。米国ではGoogle(グーグル)やIBMなどが、量子コンピューターの本命と目される量子ゲート型マシンの開発競争を繰り広げており、中国や欧州、イスラエルなどの企業も研究開発を進めている。量子ゲート型マシンが理論的には既存コンピューターの上位互換であるため、いずれ全てが量子コンピューターに置き換わると「極論」を述べる研究者もいるほどだから、当然といえば当然である。

 それじゃ、国産コンピューターメーカーから落ちぶれたSIerはどうかと言えば、なぜかボーっとしている。一応、量子コンピューターの一種とされる量子アニーリングマシンなどの研究開発は進めているようだが、本命はあくまで量子ゲート型だ。グーグルを猿まねするのは無理でも、IBMを猿まねして量子ゲート型の開発にアクセルを踏まないといけないはずだが、「日本が置いてきぼりを食う可能性がある」「経済安全保障上の脅威だ」と焦る官僚に尻をたたかれるほどの体たらく。これではハードウエアも猿まねできないと考えるほかない。

●スティーブ・ジョブズを猿まねできなくても……

 もしメーカー落ちぶれ組のSIerに日本の製造業として猿まね力、というか、この場合は猿まねしようという強い意志だが、それが残っているなら、グーグルやベンチャー企業だけでなくIBMも量子ゲート型マシンの研究開発に乗り出しているぞと聞けば、即座に追随しようと必死になるはずだ。ところが幹部は「そう簡単に実用化は無理」とか「どんな方式が本命になるか、まだ分からない」などと言って、とりあえず細々と研究開発しているのが実情だ。

 確かに、量子コンピューターが既存のIT産業を根底からひっくり返す可能性を秘めていると言っても、実際にそうなるという確証はないし、そうなるとしてもいつのことかは分からない。だけど、パーソナルコンピューターの概念を提唱したアラン・ケイが言ったではないか。「未来を予測する最善の方法は、それを発明することだ」と。

 あっ、言っておくが、メーカー落ちぶれ組のSIerに「未来を発明する」などという大それたことを期待しているわけではないからな。そういうクリエーティビティーの高い仕事は、グーグルやベンチャー企業らに任せておけばよい。そうだ、IBMについて一言だけ褒めておけば、SIerに落ちぶれた日本の国産コンピューターメーカーと違って「さすがIBM、腐っても鯛(たい)だ」と思うぞ。

 それはともかく、グーグルやベンチャー企業、IBMらが未来を発明中のため「量子コンピューターの実用化には100年以上かかる」などと言われていたのが、最近では「20年後かもしれない」となり、直近では「2020年代のうちに実用レベルに達する」との声も聞かれるようになった。もちろん何をもって実用レベルというのかは曖昧だが、実用化に向けた動きが加速しているのは確かだ。日本のメーカー落ちぶれ組のSIerも現状に甘んじるのでなければ、必死で彼らを猿まねして、置いてきぼりを食わないようにしないといけないはずだぞ。

 これは全ての日本企業に言えることでもあるが、メーカー落ちぶれ組のSIerに必要なのは、栄光の国産コンピューターメーカーだった頃の猿まね力の復活だ。「DX企業になる」などと力むのも結構だが、DX企業になるにも、猿まねする力がなければ話にならない。日本企業、特にご用聞きのSIerに創造性など求めても無駄だから、とにかく猿まね力を復活させるべし。韓国や中国、東南アジアのIT企業なども猿まね力を身に付けて、日本企業を追い越していったわけだしな。

 ただ、昔のような猿まね力だけを復活させても意味がない。あれは製造業における現場の猿まね力。猿まねすべき製品を分解して徹底的に調べ上げ、同等以上のモノをつくり上げる。つまり現場力の一種だ。で、いま必要なのは経営の猿まね力。iPhoneを模倣するには、経営者がスティーブ・ジョブズを猿まねする必要があるわけだ。そりゃ難易度が高過ぎるが、量子コンピューターならどうか。こちらも、市場が存在しない段階から大胆な投資を実行する経営者を猿まねできなくてはならない。ただ、これぐらいはできないとな。

 そんな訳で、栄光の国産コンピューターメーカーから落ちぶれたSIerの経営者へ……。いや、それだけでないな。他のSIerや下請けITベンダーの全ての経営者に言っておこう。ご用聞き商売、人月商売から脱却したいのなら、経営者自身が猿まね力を身に付けて、米国企業、あるいは韓国企業、あるいは中国企業、あるいは経営力のある日本企業(これはお好きなところで構わない)の経営者のやり方を猿まねできるようにならないと駄目だぞ。「うちでもつくれるはずなのに」と嘆いているだけでは、あまりにみっともないし未来もない。