安倍晋三と統一教会、自民党とカルト宗教がズブズブ、親和性 [7]

日本のマスメディア、TV新聞はマルっと無視してましたが、安倍晋三と統一教会の親和性、岸信介からの深い繋がりや関係は知る人ぞ知るところですが、参院投票も終わったので拾ったツイートをとりま採り上げます。

その7

 

安倍元首相を撃った山上徹也が供述した、宗教団体「統一教会」の名前【現代ビジネス編集部 2022年7月9日】

安倍晋三元首相(享年67)を街頭演説中に銃撃し、殺害した山上徹也容疑者(41歳)の供述が、少しずつ明らかになってきている。大手メディアが報じない供述の内容を、以下、明かそう。

山上容疑者は「宗教団体のメンバーを狙おうとしたが、難しいと思い、安倍元総理を狙った」と報じられてきたが、この宗教団体は、旧・統一教会(世界平和統一家庭連合)である。かねてより霊感商法や集団結婚で話題になってきた新興宗教だ。

山上容疑者は「自分の母親が統一教会の信者で、安倍晋三が統一教会と親しいと知って狙った」と供述している。

なぜ山上容疑者は、統一教会と安倍氏と接点があると考えたのか? 統一教会系の政治団体「国際勝共連合」は、1968年に創設された保守系グループであり、自民党の保守系議員とも密接な関係があると言われる。ネット上では、かねてより安倍氏と勝共連合の関係が取り沙汰されてきた。

統一教会と敵対関係にある日本共産党の機関紙「しんぶん赤旗」では、昨年9月12日、旧統一協会系の天宙和連合(UPF)の集会に安倍氏がオンラインで出席し、「今日に至るまでUPFとともに世界各地の紛争の解決、とりわけ朝鮮半島の平和的統一に向けて努力されてきた韓鶴子総裁をはじめ、皆さまに敬意を表します」と発言した模様を報じている。

保守系政治家の雄であった安倍氏と統一教会との接点は、かねてより永田町関係者では公然の秘密だった。たとえば安倍氏と近いある参議院議員の場合は、「統一教会丸抱え」と言われるほどの密接の関係にあり、統一教会幹部も「あの議員はうちの票で当選できている」と認めるほどだった。

山上容疑者の自宅では拳銃2丁以上が押収され、爆破物を複数製造していたことも明らかになった。自宅のワンルームは火薬の匂いが立ち込め、さながら町工場のように、爆発物などの製造に使う薬品、鉄くずなどが散乱していたという。

「もともと爆発物で安倍氏を殺害しようとして製造したが、これでは無理だと銃に変更し、今年の春には完成させたと供述している。

今回使用した銃は、2つの鉄パイプを粘着テープでつないだものだった。二度発砲ができるもので、激しい殺意が見られる。山上容疑者も、殺害するつもりだったと物静かに語っている」(捜査関係者)

「統一教会と安倍が親しいので狙った。殺してやると銃を持ち出した。ネットで毎日、参院選の予定を調べていて、奈良にきたのでチャンスだと思った」

「政治的な意味合いで狙ったのではない」

「自宅でこれまで、拳銃、爆発物など複数作っていた。インターネットなどから、調べて作った」

などと山上容疑者は供述しているという。なぜ統一教会に恨みを燃やしたのか、今のところは供述からは明らかになっていない。

ただ山上容疑者の母親がかつて統一教会の信者であり、大量の寄付をしていたこと、おそらくはそれが理由で2002年8月21日に破産宣告を受けていることが明らかになっており、家族が崩壊したことへの何らかの恨みを統一教会と安倍氏にぶつけた可能性がある。

捜査関係者が語る。

「母親は熱心な統一教会の信者で、今も現役のようだ。山上容疑者は母親と統一教会の関係が家庭崩壊につながったと憎悪を募らせ、犯行に及んだと供述している。母親については調べを進めているが、かなり熱心な信者であったとみられる。

犯行前日には、安倍氏が岡山県で演説をすると知り、追いかけて行っている。パソコンやスマホには拳銃、爆発物を検索した履歴がかなりある。計画的な銃撃とみられるが、意味が通じない供述もある」

自民党幹部は語る。

「最大派閥、安倍派を牛耳る安倍氏が亡くなった、次のリーダーがはっきりしない安倍派は迷走するかもしれない。これまで安倍派だった下村博文、西村康稔、世耕弘成、萩生田光一といった有力者は、みな安倍氏がいるから大人しくしていた。だが、その軛が外れると大変だ。

岸田政権の誕生は安倍氏と麻生氏のタッグのおかげだったが、そこにひびが入れば、岸田氏もウカウカしていられない状況になる。参院選は安倍氏の銃撃で同情票がくるので圧勝だろうが、党内抗争になる可能性がある」

不安のおさまらないなか、10日の投開票日はどうなるだろうか。

 

藤田庄市『日本における統一教会の活動とその問題点 ―活字メディアで報道された批判を中心に―』
http://www.rirc.or.jp/20th/Rirc20th_inbound8_Fujita.pdf

はじめに

 本稿では 2000 年以降、日本の活字メディアで報道された記事から世界基督教統一神霊協会の動向を分析する。同協会は「統一教会」の略称で広く知られてきたが、2015年8月に「世界平和統一家庭連合」(略称、家庭連合)への改称が文化庁より認証された。従って統一教会は旧称ということになるが、扱う内容が旧称の時期であり、また社会的には現在もその名が広く知られているので、本稿では 「統一教会」という名称 を用いることにする。
 資料は主として、公益財団法人国際宗教研究所・宗教情報リサーチセンター(略称ラーク、RIRC)の記事情報データベースを用いた。同データベースで2000年以降を「統一教会」で検索した件数は以下の通りである。単一の教団名での検索数としては多い方に属する。

  2000年 215件    
  2001年 134件
  2002年  99件   
  2003年 109件  
  2004年  71件  
  2005年  44件  
  2006年 121件   
  2007年 174件
  2008年 112件
  2009年 182件
  2010年  80件
  2011年  75件
  2012年 141件
  2013年 127件
  2014年  76件
  2015年  52件(60件)<24件>
  2016年  43件(52件)<35件>
  2017年  76件(81件)<52件>
  2018年  67件(75件)<52件>

  注)2015年~2018年の()内は「統一教会 家庭連合」での検索数。<>内は「家庭連合」での検索数。(2019年1月18日検索)

 アジア太平洋戦争敗北の後、新宗教は日本社会に強大な勢力を築いた。その中に、海外からキリスト教系の新宗教も布教に上陸した。ものみの塔聖書冊子協会(エホバの証人)と統一教会は、大教団には成長しなかったものの、一定の信者を獲得し教団として日本に定着したといえよう。一方で、エホバの証人は輸血拒否などにより、統一教会は霊感商法などにより、両教団とも社会と葛藤を惹起し、その問題は現在も基本的にはなくなってはいない。
 統一教会は1960年代からマスメディア、および近年に至ってはインターネット情報が加わり、社会的にさまざまな面から取り沙汰され、現在もそれが続いている。取り沙汰される内容は多様であり、時期による違いも見受けられるが、大きく分ければ主のものは次の①~③にまとめられる。ほかにも、日韓トンネル、桜田淳子をめぐる動きなど興味深い問題がいくつかあるが、本稿では扱わない。

①布教・教化とそこから生じる家族との軋轢・葛藤などの諸問題。有名な合同結婚式はその一つである。
②刑事事件をも生み出した「霊感商法」
③反共を出発点とした一部政治家への深いコミットメント
④教祖文鮮明の死と教団分裂

 以上の事象は④を除き1960年代~70年代に活発な原型が見られ、1980年代から1990年代にはその展開があった。2000年以降に表出する報道の傾向も、基本的にはその延長上にある。そのため 2000年以前の統一教会の動きを簡潔に示した上で、21世紀における状況を分析する。
 なお引用する記事は該当の新聞雑誌名を文中( )内に記すが、ニュース記事の場合、ほかのメディアも報道していることが通例であることを最初に断っておきたい。

1. 1960年代から2000年までの統一教会

 韓国で1954年に文鮮明(1920~2012)によって設立されたキリスト教系新宗教の統一教会は、1958年に日本に密航した崔翔翼(西川勝)が伝道を開始し、1964年に旧宗教法人法の下で法人格の認証を受けた。その数年前、立正佼成会の庭野日敬会長(当時)の秘書をしていた久保木修己はじめ小宮山嘉一ら佼成会の青年信者多数が統一教会に走った。久保木は2001年まで日本統一教会の会長を務め、小宮山は初代原理研究会会長に就いた。
 統一教会が最初に社会的に知られたのは<親泣かせ「原理運動」学生間に広がる学業放棄>というセンセーショナルな新聞記事であった(朝日新聞1967年7月7日)。同記事によると「原理運動」と呼ばれる宗教が全国の大学や高校に広がり、そのため家庭を破壊されたという父母からの訴えが学校や警察に相次いだ。親たちの訴えによると、入信した若い男女は性格が変わってしまい、「理想社会をつくるため」といって家出同然となり、学校に通わず街頭募金などの活動に没頭。1967年5月には東大安田講堂に約2,000人を集め、関東原理研大会を開くに至った。一方では親に活動資金をせびる状況があり、父母が被害者組織を結成する事態が生じた。この記事を皮切りに各紙誌が統一教会のさまざまな所業について多くの報道を行い、その姿が次第に明らかにされていった。
 さきの記事には入信によって「洗脳」され「性格が変わる」という表現があり、入信者の様態が異様な驚きをもって家族や周囲に受け止められたことがうかがわれる。彼らの親からは入信後の精神疾患、自殺、行方不明の訴えがなされた。具体的に1971年に入信した20代女性A子の手記<原理運動の一年余身もこころもズタズタに>(東京新聞1975年2月7日~8日)に従い、当時の様相を示そう。
 A子は街頭で必死に伝道する学生に接したのをきっかけに入信し、修練会に参加した。朝6時から夜10時まで、教義である「統一原理」の講義が行なわれ、最後は、「神側(資本主義陣営)とサタン側(共産主義陣営)の間で第三次世界大戦が必ず起こり、神側すなわち資本主義陣営につけば勝利は絶対とする「勝共講義」で終わった。A子はなにより統一教会メンバーの「善人」ぶりと「あたたかさ」に感動して、ホームの共同生活に入った。家具も給料も「万物復帰」の教えから教会へ差し出した。その後、2週間の特別修練会に参加。朝6時から夜12時までびっしりの講義や、資金獲得のための花売りなどが課せられ、最後は24時間祈祷だった。質問はいっさい許されなかった。信者の間に衝撃が走ったのは原罪の由来を説く「堕落論」の時だった。統一教会の教えはこうだ。

 サタンは人類の母エバ(イブ)を誘惑し不倫な性交を行った。エバが天国の木の実を食べた話は、じつはこのことを示している。人類は、この性交によって血のなかにサタンの血が流れ、原罪を背負うことになってしまった。ゆえに「エバ=女性は堕落の始まりであり、それによって同時に発生した諸悪の根源を持っている」。

 女(人間)の狡さ、嫉妬心などのいやらしさが次々と突きつけられ、逃げ場はなくなったようである。「一人が悲鳴を上げる。バッタリとのめり、タタミに顔をすりつけて神にゆるしをこう。へなへなと、あるものは放心した。髪をかきむしり、叫び声を上げる多くの受講者たち。それは鬼気せまる“集団”そのものだった」。が、救われる道はあると、そこに一本のワラが投げられる。「再臨のキリスト(文鮮明教祖)によって血は清められ、同じように清められた男性との結婚によって原罪は取り除かれる」。
 以上のようなことは 20 世紀における統一教会関係の報道や研究書においては、しばしば紹介されていたことであるが、今日では触れられることが少なくなった。有名な合同結婚(祝福)は、信者の信仰生活の最大の秘蹟であり、ここで示されたような教義に基づいている。
 ところが1980年代に入ると統一教会は伝道方法を大きく転換する。街頭で黒板を出し、陶酔さながら伝道する顕示的姿勢から、一転、最初は正体を隠しての布教・教化法に変化させた。つまり統一教会であることを隠し、街頭でアンケート調査や手相を見るなどとしながら、あるいは個別訪問をしながら、若者のみならず一般市民、とりわけ主婦らを、教養講座や自己啓発を偽装したビデオセンターへ勧誘していった。そこでは計画的かつ詳細なカリキュラムが組みこまれていた。統一教会とわからぬ段階で教義を教え込み、棄教が出来ないような精神状態になった時点で、文鮮明が救世主であると明かすという方法によって、信者となったと考えられるのである。
 合同結婚式は1970年代からマスメディアで報じられてきたが、決定的に社会に知られたのは 1992年、女優の桜田淳子らが参加した時だった。テレビのワイドショー番組を中心に、スポーツ・芸能紙、週刊誌を舞台に報道が沸騰した。なお翌年の1993年、桜田淳子とともに焦点の一人だった新体操選手の山崎浩子が脱会する際に口にした「マインド・コントロール」は、このとき、信仰呪縛をあらわす言葉として社会に流通する契機となった。そのもとはスティーブン・ハッサン著(浅見定雄訳)『マインド・コントロールの恐怖』(恒友出版1993年)だった。
 また、1992年の合同結婚式騒ぎは、同時に、元信者らがメディアに出て教団の実態を暴露したため、統一教会の霊感商法も広く知られるところとなった。もともと統一教会は1960年代からすでに資金獲得方法として先の手記にあった花売りや「北方領土返還」募金や福祉募金、廃品回収などを行っていたばかりでなく、多くの会社を設立し、韓国の統一教会系企業から朝鮮人参茶などを輸入販売するなど、企業活動を広く行っていた。それらの会社では信者を社員として極端な低賃金で働かせているとの報道もなされた。
 しかし1980年代の布教戦略の転換にともない資金獲得方法も転換した。家系図診断や姓名判断を用いながら、祟りや因縁を説いて、輸入の高麗大理石の壺や、数珠などを法外の値段で与え、さらには献金をさせるような例が出てきた。そのために統一教会系の企業群が動員されたりした。霊感商法は各地で行なわれたため、消費者センターへの苦情が多く寄せられ、報道も繰り返された。その状況下、1987年に「全国霊感商法対策弁護士連絡会」(以下、全国弁連)が結成され、被害を訴える人々の対応に取り組んだ。「霊感商法」との名称は同連絡会が事象の内容から命名したものである。しかし被害は絶えることなく、その活動は行政への働きかけをともなって全国弁連の活動は現在も継続している。
 なお1980年代後半には、脱会した信者が統一教会の伝道・教化は信教の自由を奪う人権侵害であり違法であると裁判にうったえた民事裁判(「青春を返せ」訴訟、違法伝道訴訟)や、霊感商法の被害者が起こした数多くの民事裁判がある。後述するが、裁判所が霊感商法被害者の主張を認めるようになるのは1900年代末、脱会信者の主張については2000年に入ってからだった。これも後述するが、消費者契約法改正により条文に「霊感」が入れられ、霊感商法的手口の契約が取り消し理由に法的に保障されたのは2018年である。
 このように統一教会はその活動について当初から多くの社会的批判を浴びることが多かった。しかしながら、当時は「カルト」という言葉や概念はなく、多くの報道は、統一教会が特異な宗教であるということを、それぞれの事件に即して批判していた。この「親泣かせ」や「金集め」という側面と同時に注視されたのは、統一教会の政治活動であった。その背景にあったのは「東西冷戦」という当時の時代状況である。それを十分に利用して統一教会は「反共」どころか、韓国統一教会直輸入の「勝共連合」すなわち共産主義に勝つというネーミングをもって日本の政界、右翼界に近づいた。表向きは別組織であるが、実際は異名同体であることは現在も変わらない。
 1968年1月に韓国で国際勝共連合が発足すると、3か月後には日本でも同連合が設立された。その前年、文鮮明が来日し、笹川良一ら日本の右翼と「第一回アジア反共連盟結成準備会」を開いていた。右翼界の大物だった笹川は統一教会の青年を気に入り、同協会の顧問になっていた(後、離反)。連盟結成の目論見は一部の右翼が反発したため失敗したが、笹川は岸信介元首相を統一教会=勝共連合と結びつける。そして統一教会は右翼や宗教界を巻き込んで活発な動きを始めた。1970 年はその典型的な年となった。5月には落成したばかりの立正佼成会普門館で「WACL 躍進国民大会」を開催した。「WACL」とはワールド・アンチ・コミュニズム・リーダー、つまり世界反共連盟の略称である。大会には当時の佐藤栄作首相はじめ自民党幹部ら政界の大物が花輪を寄せ、岸はアピールを寄せた。
 ついで9月15日~17日は京都で「WACL 第4回総会」が開かれ、議長には 久保木修巳・統一教会会長が選ばれた。その3日後の20日には日本武道館で「WACL 世界大会」が神社本庁など23の推進団体、自衛隊友の会などの賛同団体のもと、大会総裁は笹川良一、大会推進委員長は岸信介をもって開催された。1974年の統一教会主催の「希望の日晩餐会」には福田赳夫蔵相(当時、のち首相)ら閣僚、自民党幹部ら親韓国派議員40人ちかくが会場の帝国ホテルへ足を運んだ。統一教会の自民党と政界への浸透は選挙応援、議員秘書への送り込みなどを通じて深まっていった。その後、統一教会に対する野党による国会での追及や社会的批判、マスメディアの報道があり、閣僚や自民党幹部の統一教会との関係は見えづらくなってゆく。なお、政界との結びつきを図った
同時期に、統一教会は「世界平和教授アカデミー」という大学教授を“利用・懐柔”する組織も作っていたことを忘れてはならない。付け加えれば、統一教会はアメリカでも政界浸透問題でスキャンダルを起こし、1976年にフレーザー委員会で追及をうけた。
 50年後の今、安部晋三首相が統一教会の大会にメッセージを送るのは、祖父の岸信介以来の仲であることを知れば、同教会と自民党は長い期間にわたる深い関係が構築されていることが分かる。
 つまり、統一教会はたんなる宗教団体というより、宗教に企業、政治活動が融合した国際的新宗教団体なのである。そうした活動の原型は教団発足後10年も経たないうちに出来上がっていたことを確認しておきたい。

2. 正体を隠しての布教・教化と信教の自由

 正体を隠しての統一教会の勧誘と霊感商法(次節)とが融合したような布教・教化は、21 世紀になっても大枠としては継続している。他方で、その布教・教化が宗教選択の自由を侵し、信教の自由を侵す人権侵害であるとして、元信者たちが1987年から全国9地裁で次々と民事訴訟を起こしている。それを原告側は「青春を返せ訴訟」あるいは「違法伝道訴訟」と名づけた。
 国家と宗教をめぐる信教の自由ではなく、特定教団の伝道方法が国民の信教の自由の侵害であり、違法であるという裁判は、日本の宗教史においては初めてのことであった。
 この統一教会の布教・教化を正面から問う裁判の判決は当初いわばジグザグの形を辿った。地裁レベルでみると、名古屋地裁(1998年)、岡山地裁(1998年)、神戸地裁(2001年)までは元信者側の敗訴が続き、静岡地裁(1997年)、東京地裁第一次(1999年)は和解だった。
 局面が変わったのは2000年9月の広島高裁岡山支部(片岡安夫裁判長)における元信者男性側逆転勝訴である。男性は「マインドコントロールによって違法な勧誘方法で入会させられ、精神的苦痛を受けた」などとして統一教会を訴えたものの、岡山地裁の判決は「男性は自発的に宗教的な意思選択をしており、勧誘や教化行為が社会的相当性を逸脱しているとはいえない」と敗訴した。しかし、高裁判決は勧誘から脱会までの事実認定を一審と同じくしながら、次のように判断した。「正体を偽り勧誘するなど宗教選択の自由を奪い」「虚偽を欺罔で困惑させ入信させた」、「不安をあおり困惑させるなどして自由意志を制約、不当に高額な献金をさせた」。そして「一連の行為の目的などは社会的に相当と認められる範囲を逸脱。教義の実践の名のもとに他人の利益を侵害しており違法だ」。
 争点の一つだったマインドコントロールについては「不法行為が成立するかどうかの認定判断をするのに(マインドコントロールを)定義付けする必要はない」と明言を避けた。この点について元信者側の河田英正弁護士は。「『自由意志を制約した』などの判決内容から、マインドコントロール的行為の存在とその違法性は認められた」との見解を示した。(山陽新聞2000年9月5日)。他方、統一教会側は「法令解釈・適用が著しく偏見に満ちている」と批判し上告したが、2001年2月に元信者側の勝訴が最高裁で確定した。
 翌2001年6月29日、元信者側の主張を認める決定的ともいえる長大な判決が、札幌地裁(佐藤陽一裁判長)で下された。原告も元信者女性20名という数だった。判決はまず、「統一教会の入信や献金の勧誘は、信者となった人の財産収奪や無償労働の提供、被害者の再生産という不当な目的のもとに行われた」と認定し、そのうえで「統一教会であること隠したうえ、人の弱みにつけ込むなど社会的相当性を逸脱した違法な行為」とした。つまり、「統一教会を秘匿するなどした勧誘は、憲法が規定する信教の自由を侵害するおそれのある違法な行為」として、憲法の保障する信教の自由を侵害する「おそれ」があると断じた。
 元信者側弁護士の郷路征記弁護士は「統一教会の不当な勧誘目的を認定したのは初めて。信教の自由を侵害する恐れがあることも指摘しており、高く評価できる」と位置づけた。統一教会は「偏見に基づいた不当な判決」と控訴した(北海道新聞2001年6月29日夕刊)。さらに2003年、札幌高裁(山崎健二裁判長)は「勧誘された者は、外部との接触を困難にされ、正常な判断ができない状況で教義に傾倒した」と信仰呪縛を認め、一審判決をより明確化した(北海道新聞2003年3月15日)。また同判決は「献金や献身などにその都度『同意』していたとしても、『それは自由意志を妨げられた結果にすぎ』ないと言い切った」のだった。
 2002年8月の東京地裁判決(小泉博嗣裁判長)は札幌地裁判決と重なり合うと同時に、初めて、合同結婚は婚姻の自由を侵害していると認定した。判決は「合同結婚式は統一教会の教義上、原罪から解放され、救済が実現する唯一の方法とされている」と指摘し、結婚を断った場合は救いの道が永久に閉ざされると教えていると認定した。教祖の文鮮明が「統一教会が祝福を与えようとするのに、それを嫌がって受けなければ霊界に行って問題になる」などと教えていることを列挙し、「婚姻の自由を侵害する違法があった」と結論づけた。ゆえに、「離婚」ではなく「婚姻無効」ということになる。
 札幌地裁判決も東京地裁判決も高裁判決を経て、2003年、2004年にそれぞれ最高裁で判決が確定した。2002年10月、同じく新潟地裁も元信者側が勝訴し、高裁判決を経て2004年に最高裁で判決が確定した。統一教会の正体を隠しての布教方法は以上のように、裁判で最初は問題なしとされたが、元信者側の膨大な証拠に立脚した論理構成はやがて勝訴を確かなものにした。
 しかし、元信者側の信教の自由と統一教会の布教・教化に関する問題提起はこれに止まらなかった。上記の裁判では、布教・教化のうち正体を隠しての勧誘については違法性が前面に出ていた。これに対し2004年、元信者ら63人は新たに統一教会による布教・教化全体、つまり勧誘から正体を明かしての入信、それからの教化という活動全体の違法性を主張して、新たに札幌地裁に訴えを起こした。判決は2012年3月29 日に下りた。橋詰均裁判長は「一連の伝道活動は宗教性や入信後の実践内容を秘匿して行われ、自由意志をゆがめて信仰への隷属に導いた不正なもの」と認定し、「違法な布教活動が組織的に行われていた」と約2億7800 万円の支払いを命じた。請求額は約6億6,500万円だった。統一教会は「判決の認定内容は事実に反しており、あまりにもずさんで遺憾だ」とコメントした(北海道新聞2012年3月30日)。
 郷路征記弁護士は、この判決が示した「宗教団体の布教活動が違法行為となる場合として」次の4つの基準が示されたと読み解く。①教えの宗教性を隠すこと、②入信してから特異な宗教的実践を求めるのに伝道時にそれを知らせないこと、③信仰の維持を強制するため、家族や友人、知人との接触を断ち切ること、④金銭拠出の不足を信仰の怠りとし、そのことが救済の否定につながるとの教化活動が行きすぎる場合。すなわち、統一教会の布教・教化はこの4つを満たしているのである。そして郷路征記弁護士は、この基準が統一教会以外のいわゆる「カルト集団」の布教活動が違法であると裁判所に判断してもらえる可能性が開けたという。
 最初の提訴から25年を経て、元信者側はこうした司法判断を得ることとなった。それは信教の自由を新たに問い直すことになったが、統一教会側は、元信者たちの訴訟は、かれらへの強制改宗によるものであると主張した。
 ところで上記4つの基準にある②の「特異な宗教実践」とは、統一教会の場合、合同結婚がそれにあたる。合同結婚は教祖文鮮明が信者男女をマッチングして相手を決めるため、お互いがそれまで見ず知らず同士である。人種も国籍も関係ないから国際結婚も多い。わけても「韓日祝福」という男性が韓国人で女性が日本人のカップルには特別な教義的裏付けがある。その教義とは、植民地支配した日本は韓国に対して「蕩減」(贖罪)の義務があり、「エバ国家」として貢がねばならないとされる。この教えは、信仰の篤い日本人女性信者には使命感が与えられる。後述する霊感商法で吸い上げられた莫大な金もこの教えによって現在も韓国に送金され続ける。
 この「韓日祝福」は一つの特徴的な現象をもたらした。2005年に「在韓日本人、10年で倍増 半数統一教会関係者か」(産経新聞2005年9月9日)という記事が出た。記事によると、在韓日本人の数が大きく増えたのは1990年代に入ってからであり、その背景には「統一教会の集団結婚で韓国に来た日本女性とその子供の急増」がある。日本大使館の話では、子供をふくめて1万1,000人ほどが、統一教会関係者と推定しているという。この問題を調査した中西尋子によれば、約7,000人の日本人女性信者が「韓日祝福」で渡韓しており、大部分は農村地帯か地方小都市に居住している。そして日本に帰国した女性たちから韓国での実情がもれてくるようになった(以下、フライデー 2006年2月24日)。
 まず、相手の男性は、「高学歴の日本人女性と結婚できることから、にわか信者になって結婚に至る韓国人男性がほとんど」であり、「妻は子をつくる道具。カネをもってくる手段としか考えられていない」などであった。韓国で調査した紀藤正樹弁護士はこう語る。
 「統一教会は合同結婚式に参加する男性の人数を増やすため、かつて広告などで募集したことがあります。農村部に住む結婚できない男性からの申込みが多い。当然彼らは熱心な信者ではない。教会に週に一度通うかどうか。女性はマインドコントロールされているわけですから、信心が篤い。男性は単に結婚したいだけなので、うまくいくわけがない」。
 この問題は一般紙はじめマスメディアで取り上げられることはほとんどなかったが、2010年に研究書(櫻井義秀・中西尋子、2010、『統一教会』北海道大学出版会)の発刊をとらえて、週刊ポストが「韓国農民にあてがわれた統一教会・合同結婚式 日本人妻の『SEX 地獄』―-<衝撃リポート>北海道大学教授らの徹底調査ではじめてわかった戦慄の真実」(2010年6月4日)とい
う見出しのもとで報じられた。これに対し、統一教会は名誉棄損で東京地裁に訴訟をおこしたが、相手は発行元の小学館だけで、研究者は訴えられなかった。2013年2月20日の判決は統一教会の勝訴だった。だが判決を検討すると、記事については「SEX 地獄」の部分のみ行き過ぎがあったというだけであり、研究成果をふまえて「(統一教会の)活動自体の是非を問うことと認められ」「専ら公益を図る目的」と記事の公益性を認めていた(宗教問題5号2013年8月25日)。
 2018年は日本人が1968年に合同結婚に初参加してから40年が経過することになる。合同結婚に参加した信者の子どもの中には、二世信者として統一教会の活動を担っている人たちがいる。しかし中には深刻な悩みを抱える二世信者も出てくる。その問題は元信者であった人たちの書籍などが刊行されることで広く知られるようになった。その実情を知らせた最初期のものが、大沼安
正『「人を好きになってはいけない」と言われて』(講談社、2002年)である。著者は当時19歳。統一教会信者は恋愛厳禁ゆえの書名だった。彼の苦闘の生い立ちがつづられている。大沼を紹介した記事「統一教会『神の子』からの脱出」(女性セブン2002年4月25日)には、ジャーナリストの有田芳生(現、参議院議員)が、「何が問題かというと、彼らには生まれたときから、信仰の自由、結婚の自由が奪われている」とコメントしている。有田は統一教会問題やオウム真理教事件でテレビにしばしば出演するようになっていた。
 大学では二世信者がダミーサークルを足場に伝道を行うようになり、大学当局も学生生活支援の一環として「カルト対策」をとる必要に迫られる状況が出てきた。2006年に新聞に大々的に報じられた「摂理」(キリスト教福音宣教会)問題を直接の背景として2009年には「全国カルト対策大学ネットワーク」が結成された。
 2012年に佐賀大学では統一教会の女子二世信者の活動家に対して脱会を勧めた教員が、「配慮を欠いた不適切な表現を繰り返した」として訴訟沙汰になった。2014年に結論として「信仰の自由を侵害された」と女子学生が勝訴した。しかし、佐賀地裁(波多江真史裁判長)は一方で「(教員との)会話を無断で録音していた女子学生の目的が、大学によるカルト対策への攻撃材料にするためだったと認定し、『精神的苦痛はさほど大きいものとは言えない』とした」(佐
賀新聞2014年4月26日)と認定した。また佐賀大学当局は判決によって「カルト団体による正体を隠した動機から学生を守る活動の正当性は認められたと考えている」との談話を出した(西日本新聞2014年4月26日)。2015年4月21日に福岡高裁は双方の控訴を棄却した。なお、大学当局と教員の弁護人は別々であり、それぞれの主張を行った。
 2000年以降の活字メディアにより、統一教会の布教・教化にかかわる事象をみてきた。日本への伝道開始以来、とりわけ1980年代からの正体を隠しての布教・教化活動全体が、信教の自由を侵害する違法なものであることが、最高裁の複数の判決で確定した。その判決プロセスは2000年~2010年代まで要した。しかし、統一教会はこのことに対し反省は示しておらず、表面的な布教・教化活動の変容は見られるものの、被害の相談窓口に寄せられる情報からは、骨格部分は維持して活動をつづけているとみなすべきであろう。

3. 「霊感商法」社会的批判から刑事事件として摘発

 統一教会が霊感商法を行うようになったのは1980年ごろである。一般の人々を「霊場」とよぶ施設に正体を隠して誘い、霊能者役の信者が因縁セールストークで威迫し、壺などを売りつけるのが始まりだった。そこには統一教会系企業群が一体になっていた。そうして、正体を知らせぬまま、さらに教義を教え込み、棄教できない精神状態(信仰)に至ったときに統一教会であると明かし、信者とした。そしてほぼ全財産を献金させ、青年ならば、そのうえで献身させるということが行なわれた。こうしてたちまちのうちに組織的かつ緻密な伝道システムが作り上げられた。やがて各地の消費者相談窓口には苦情が多数寄せられるようになった。1986年に「朝日ジャーナル」が批判キャンペーンを行なった。社会的批判が高まり、翌1987年に「全国霊感商法被害対策弁護団」(以下、全国弁連)が結成された。衆議院物価問題特別委員会では警察庁の生活経済課長が呼ばれ、霊感商法について「最も悪質」な商法と答弁した。当時の日本弁護士連合会(日弁連)の調査によると、消費者センターと弁護士会への相談は合わせて1万457件、金額は317億7,400万円であった。各地で返金要求の民事訴訟がおこされたが、刑事事件として摘発されたものはなかった。1988年に日弁連は「霊感商法にかかわる販売業者群の背後に統一教会の存在が推認される」との意見書を出し、社会的反響を呼んだ。
 通例の消費者事件であれば、メディアをはじめ社会的批判が高まり、行政や国会で問題にされ、裁判沙汰ともなればだいたいは終息するものである。だが、統一教会はそうした対応をせず、方法に変化はあるとしても現在まで霊感商法を継続している。裁判やメディアの取材では、統一教会系企業や信者がやったことを認めても、統一教会自体の責任は回避している。以下は、宗教情報リサーチセンターの記事データベースで、2000年以降に「霊感商法」がヒットした件数である。現在に至るも、霊感商法が活字メディアに報じられていることを示している。また本節末に、1987年~2017年の全国弁連が集計した被害相談一覧を転載した。一覧によると現在まで被害相談は起伏はありながらも、かなりの数で継続推移している。
 ごく初期の被害回復の動きは示談や裁判の和解が多く、裁判が継続し統一教会の使用者責任を認めた判決が初めて出たのは1996年だった。それらのうち1997年の奈良地裁判決は、統一教会の「組織化された献金勧誘システム」自体を違法としたが、この認定は異例だった。多くの判決で統一教会の責任が続けて認定されるのは2000年以降である。
 本稿ではまず、2000年以降の霊感商法裁判から、極端にみえる事例を3つ紹介する。なぜなら、それは例外的な事例とは思われず、霊感商法被害の典型と考えられるからである。
 1つは驚くほど多額の金銭であることが分かった事例である。それは元男性信者が約 32 億円の損害賠償を東京地裁に求めたものである。この男性は不幸なことが起こるのは、「先祖の因縁がついている(からだ)と脅され、不動産を売却して献金するよう強要された」。それ以外にも約10年間に壺や高額な物品を購入させられたという。裁判としては和解し19億円が男性に賠償された。(毎日新聞2002年10月18日)。
 2つ目は期間の長さである。被害期間が 20 年という長期にわたる事案が福岡地裁に提訴された例がある。原告は夫をなくした女性である。夫が死んだのは先祖の悪因縁が原因だとされ、印鑑を購入したのをきっかけに、「恐怖におののく生活を強いられて」、夫からの相続財産や生命保険を献金させられた。その額は、証拠が残っているだけで1億5,000万円。全体では2億円以上だったという。女性が騙されたと気づいたのは、彼女自身が癌と診断されたとき、統一教会信者に相談したところ、「献金は自分が感謝してささげたもの。取り戻すことはしません」との文書に署名させられそうになったからだった(読売新聞 西部本社版2007年1月16日夕刊)。地裁判決(2010年3月11日)を経て、福岡高裁が統一教会は使用者責任と献金の勧誘行為等を違法だとして、1億1,000万円の支払いを命じた(2011年1月21日)。
 3つ目は同じ福岡高裁で、元女性信者が5億円の損害賠償を求めた事件があった。福岡地裁では約8,150万円の支払い命令だったのが、福岡高裁(木村元昭裁判長)では約3億9,140万円に増額した判決がなされた。増額した3億円は聖本(説教集)10冊分である。一冊3,000万円。判決は「信者らは聖本で痛みが治るような演出をした上で、先祖の因縁が原因などと不安をあおって勧誘した。社会的相当性を逸脱して不法」と霊能者役の信者の強引な金銭要求の状況を認定した。統一教会は「信者の信仰に基づく献金という主張が認められず誠に遺憾」とコメントした(産経新聞 九州山口版2012年3月17日)。
 こうした多くの民事裁判によって霊感商法の実態が明らかにされてきても、統一教会の霊感商法が刑事事件として摘発されることはなかった。しかし、2007年~2010年にかけて全国13か所で統一教会信者による刑事事件摘発が行なわれ、家宅捜査や逮捕が行われた。家宅捜査には統一教会の宗教施設が含まれていた。内訳は特商法違反(威迫・困惑)事件が11件、薬事法違反1件と同法容疑1件の計13件である。このうち起訴されて刑事裁判の結果有罪となったのは、東京都渋谷区の印鑑販売会社「新世」の2人のみである。「新世」事件の報道は、2009年2月の家宅捜査、6月の逮捕、11月の裁判までの間、断続的に多数報道された。これにより霊感商法の全体像が社会に見える形で浮かんできた。「新世」関連の記事を中心にそれを示そう。
 霊感商法の目的について東京地裁の判決(2009年11月10日)は、「統一教会の信者を増やすことをも目的として違法な手段を伴う印鑑販売を行っていたものであって、本件各犯行は相当な組織性が認められ、継続的犯行の一環であり、この点からしても犯情は極めて悪い」と認定した。検察の冒頭陳述では、「洗脳を繰り返して統一教会側に全財産を献金させることが目的だった」(朝日新聞2009年9月10日)と主張した。判決は、「目的遂行のために信仰と販売が混然一体となったマニュアルや講義によって信者を訓練し、信者は霊感商法が信仰にかなったものと信じて強固な意思で実践していた」と認めた。そして印鑑などを購入した客を入信させるためにフォーラム(ビデオセンター)へ誘う一連の流れを「生産ライン」と呼んでいた(読売新聞2009年6月13日)ことも明らかになった。読売新聞の記事の見出しは「霊感商法事件 統一教会隠しを指示 印鑑販売→入信 手順書押収」とある。「新世」は統一教会の「南東京教区」の印鑑販売部門であり、信者の間では「特別伝道機動隊」と呼ばれていた。
「新世」社長は伝道部長であったという。手順書(マニュアル)は10数種以上あり、購入者に家族には内密にせよと念を押すことや、統一教会との関係を察知されないように指示する文言があった。マニュアルは詳細な宗教的威迫に満ちたものとみなせる。
 判決では2人とも有罪。社長は懲役2年執行猶予4年、罰金300万円の刑だった。じつは、この刑事裁判で立件対象となった被害者は5人だけである。しかし、捜査対象期間となった2007年10月〜2009年2月の間に印鑑購入者は331人、被害とみられる契約総額は約2億3,000万円に上っていた(東京新聞2009年9月11日)。つまり、刑事裁判で裁かれたのは、限られた時期の被害者5人へ
の犯行のみだったのである。
 被害額総体がどれほどのものであったかを推測するために、さきほど極端にさえ思える3つの民事裁判の例を出したのである。たとえば東京都町田市の店舗「ポラリス」で、被害を受けた女性の警察沙汰になった金額は40万円だった。しかし入信後、「悪霊を止めるため。先祖の解怨ができる」との壺の購入代や献金の総額は800万円を超えていた。このような場合や民事裁判でのおびただしい事例からしても、「新世」を入口にして統一教会が収奪したとみられる被害総額は、2億3,000万円どころでないことは容易に推認できよう。
 統一教会は、しかし、一貫して事件とは無関係とのコメントを出し続けている。「新世」社長が起訴された時は、「当法人は宗教法人であり、いかなる営利事業も行っていない。新世とは関係がない」とした(毎日新聞 2009年7月2日)。とはいえ、一連の刑事事件化は統一教会に影響を及ぼした。徳野英治会長(当時)は次の説明をして辞任した。「信者の関与が指摘され、当法人の施設に警察の家宅捜査が入る事態を招いたことは誠に遺憾。世間を騒がせたことに道義的責任を痛感した」(毎日新聞 2009年7月14日)。だが組織としての責任は認めていない。
 警察が動く一方で、宗教法人の所轄官庁である文化庁と、それを所管する文部科学省の態度はどうだったか。前節の「青春を返せ」訴訟の初判決や霊感商法被害事件の諸判決から、統一教会の組織的責任が認定されるなかで文化庁への批判が生じた。それに関連して2008年に以下の出来事があった。
「夫の病死は先祖の因縁」などと脅かされた女性が、慰謝料を含めた損害賠償を求めた裁判を東京地裁に起こそうとした。この時、女性の代理人だった紀藤正樹弁護士は「本件被害は文化庁の怠慢によっても生じたと考えています」と、統一教会とともに文科省もあわせて被告とする「訴状(予定)」を送ると通告をした。すると統一教会側は、文科省の名を出す前の交渉では1億3,000万円までしか出さないと平行線をたどっていたが、その通告後は最終的に被害額に1,000万上乗せした2億3,000万円を支払うと態度を豹変させた。最終的には提訴には至らなかった。
 実は全国弁連は文化庁に対し、最高裁判決などをふまえて宗教法人法に則り厳しく対処すべきと求めていた。だが文化庁は「(統一教会は)民事で敗訴した例は多々あっても、使用者責任を認めるにとどまる。刑事事件になっておらず、報告や調査を求める要件に当てはまるとは考えていない」とした。これに対して全国弁連メンバーの大神周一弁護士は、「税金面除などの特典を与え調査権限すら行使しないようでは監督官庁の存在意義が問われる」と批判した。(朝日新
聞2008年4月27日「統一教会、なぜ高額示談 監督官庁の調査怖くて?」。
 翌年、「新世」などの刑事事件がおきたが、文化庁は法的権限を行使はしなかった。この年、鳥取地裁米子支部において統一教会に対して霊感商法の損害賠償請求が起こされ、そこでは「監督責任を果たさなかった」として、国(文化庁)も被告席に座らせられることとなった。この裁判は2014年7月に和解となった。その際、国は賠償の支払い義務はないが、「今後とも宗教法人法の趣旨目的にのっとり、適切に職務を行っていくことを確認する」と異例の表明をした。原告側の勝俣彰仁弁護士によると、審理のなかで「国による統一教会との面談は9回にとどまり、議事録や報告書も作成していなかった」、「問題点が明らかにもかかわらず、国がほぼ何もしてこなかった」という。当初の和解案では「(国の)従前の宗務行政の適法性、妥当性に対する疑問の余地がないわけではない」との言及があったが、最終的には削除された(日本海新聞2017年9月21日)。その後、統一教会とともに国の責任を問う提訴が東京地裁になされたが、2017年2月6 日の判決、同年12月26日の高裁判決では国の責任は不問いに付された。
 幾多の裁判を起こされ、刑事事件で有罪となった霊感商法と融合した布教は現在も行なわれている。そのことはすでに本節冒頭の記事データベースのヒット数一覧に示した通りだ。また、全国弁連作成による 1987年~2017年までの毎年の被害相談件数一覧によると、相談件数の総計3万4,136件、被害金額総計1,191億6,204万9,769円である。注意しなければならないのは、これは相談の集計である。消費者被害の相談のパーセンテージは、被害全体の一桁台であるという。まして裁判に至るのはそのまたごく一部であることをみると統一教会の霊感商法被害は文字通り天文学的数字に上る。
 その実態が垣間見えるような資料が流出したことがあった。1999年から約9年間の月ごとに韓国への送金額が記された資料によると、ある年の4月は194億円余、年間最多の2004年は669億円だった。この9年間だけで約4,900億円に達する。年平均約570億円である(週刊文春2011年9月8日。「統一教会から「4900億円送金リスト」を独占入手! 少女時代がイベント登場、冬季五輪会場も買収・・・」)。また別の教団内部資料によると、2011年に日本統一教会本部に約600億円集められ、そのうち半額の300億円が韓国の教祖一族に送られていたという(週刊ダイヤモンド 2018年10月13日「正体を隠してしぶとく活発化 年間で数百億円が “韓国” へ」)。
 なお 2018年6月8日に国会において消費者契約法の一部改正がなされ、「霊感」の語が条文に盛り込まれた。その4条3項6号に「霊感その他の合理的に実証することが困難な能力による知見」が追加され、困惑させられた消費者が取り消しの意志を示せば契約は無効とすることができるようになった。
 批判者がつけたネーミングとはいえ「霊感」の語が、すなわち、一宗教団体の布教・教化メソッドから生じた事態の言葉が、40 年近い社会的葛藤と司法による違法・犯罪認定のはてに、国民を保護する法律の条文に明記されたのである。ただニュースの報道は、業界紙を別とすれば、なかった。

4. 政界への特異な浸透

 統一教会は 1968年~1970年代に国際勝共連合として街頭で目立った動きを見せ、政界へ積極的に浸透しようとし、一定の成果をあげた。しかし、1980年代に入ると布教・教化法の転換があり、勝共連合の可視化もなくなる。しかし活動がアンダーグラウンドになっただけで停止したわけではなかった。80年代で特筆しておくに値することがある。統一教会は秘密の儀式として毎年、幹部が各国の元首に扮し、文鮮明に「屈服」の証として拝礼を行っており、日本では、久保木会長が昭和天皇の役を行なった。このことを、世界日報の元編集局長と営業局長が『文藝春秋』1984年7月号に「これが『統一教会』の秘部だ―世界日報事件で『追放』された側の告発」のなかで書き、霊感商法のマニュアルや資金の流れなどとともに、その儀式を暴露する記事を書いた。手記の発売直前に元編集局長は襲撃され瀕死の重傷を負った。しかし犯人は捕まらず公訴時効となった。右翼は激怒し、以来、表面的には統一教会は彼らから相手にされなくなった。現在も日本会議に勝共連合が加われないのは当然といえよう。しかし、後述するが、現在、統一教会が安倍晋三首相と密接な関係があることをみても、右派政治家との結びつきは続いてきたことがわかる。
 1990年代には冷戦が終結した。文鮮明は金日成首相と会談し、北朝鮮へ企業進出を図り、それは持続する(アエラ 2003年10月27日)。1992年、桜田淳子らの合同結婚式の報道騒ぎの前の3月、統一教会と政治家との結びつきが表面化したことがあった。文鮮明はアメリカでの脱税の罪による下獄のために日本へ入国できずにいた。それを当時の自民党副総裁だった金丸信が法務省
に働きかけ、入国させたのだった。1990年代に入っても、メディアと社会は統一教会=霊感商法を忘れていなかった。そのためか、教団は正体を隠すためのダミー団体をつくり、自治体や学校、行政機関を利用する試みを繰り返した。それは一定の成功をおさめながら、現在に至っている。
 2000年代に入っても、「霊感商法=統一教会」という社会的批判は一定程度定着しているので、政治家は統一教会との結びつきを霊感商法を引き合いに批判される状況にある。とはいえ、安倍政権の登場と政治の右傾化、2015年の文化庁による「家庭連合」への改名認証など、統一教会の政治活動は活発になっている。その様子を順を追ってみる。
 21世紀になっても、保岡興治法務大臣(当時)の秘書が、合同結婚式に参加した人物であるという点である。その秘書は公式な場では、本名ではなく通称を使っていた(フライデー 2000年9月8日)。保岡大臣は調査すると会見で考えを示した。統一教会が国会に秘書を送り込んでいることが明らかになった一例だったが、新聞報道はベタ記事と呼ばれる下面に一段程度の小さなものだった(毎日新聞2000年8月25日)。続いて同年12月、法務大臣に就任した高村正彦が衆議院議員に当選する前に弁護士として統一教会の訴訟代理人を務めていたこと、議員になってから大蔵政務次官時代に霊感商法の中心企業である「ハッピーワールド」から乗用車の提供をうけていたことが明るみに出た(西日本新聞2000年12月6日)。これも記事の扱いは小さかった。保岡も高村も、統一教会と国会議員との結びつきを示していた。
 女性スキャンダルが報じられたのは、2002年の山崎拓自民党幹事長(当時)である。「夜這い不倫」の相手女性が統一教会のホームで共同生活する信者だった。記事は、統一教会が北朝鮮と親しいことと関係づけ、山崎の行為は「女性を介して国家の利益が左右される危険性がある」と指摘した(週刊文春2002年4月4日)。山崎は名誉棄損で出版社を訴えたが敗訴し(朝日新聞2003年9月8日)、控訴したものの同年12月に訴えを取り下げた。2003年には小野清子国家公安委員長が、統一教会の別動隊といわれる「世界女性連合」の機関紙に登場し、それを自分のホームページでも公開していた(「東京スポーツ」2003年12月18日)。さきの保岡、高村は法務大臣、小野は国家公安委員長であり、タイミングとして布教・教化の違法性が司法の場ではっきりしてきた
時期であることは注意していいだろう。
 2004年3月に国際勝共連合と世界平和連合が共催して「救国救世全国総決起大会」を開催した。両連合の会長は統一教会の小山田秀生会長(当時)である。同大会は、中曽根康弘元首相が講演し、鳩山由紀夫民主党前代表(当時)はじめ17名の国会議員が来賓として壇上に呼び上げられた。自民8人、民主党9人。鳩山はあいさつの中で小山田にエールを送った(アエラ2004年5月3日)。民主党の多さは、現在も野党にも親統一教会の系統の議員がいる可能性があるということを推察させる。
 2006年5月に当時、内閣官房長官だった安倍晋三(現首相)と保岡元法相ら7人の国会議員が「天宙平和連合」なる団体の福岡での大会に祝電を贈った。同連合は文鮮明と妻の韓鶴子が2005年に創設したというから統一教会そのものといえるダミー団体だった(朝日新聞2006年6月20日)。この大会では、合同結婚式も行なわれ、韓国と日本の男女 2,500 組が参加した。記事では安倍事務所は「誤解を招きかねない対応であるので担当者にはよく注意した」とある。
しかし、いくつかの週刊誌は統一教会と安倍晋三の関わりの深さを、彼の祖父 岸信介からの血脈に焦点をあてて記事にした。
 週刊朝日2006年6月30日号は「次期首相にふさわしいのか!あの統一教会系合同結婚式に祝電 安倍晋三とのただならぬ関係」として、統一教会の日本での拡大に、岸が笹川良一や児玉誉士夫ら右翼の大物ともども協力したこと、父親の安倍晋太郎は勝共推進議員連盟に名を連ねていたことなどを報じた。統一教会と自民党議員の深い関係を語る議員秘書の次のような話がある。「『勝共推進議員』といって、もともと自民党は選挙で統一教会の支援を受けている議員が少なくないんです。運動員を出してもらったり、中には秘書を派遣されている議員もいる。もちろん全国に散らばる信者の票も目当てです」。
 先の「天宙平和連合」の大会は全国12か所で開かれていて、そのうち広島の大会にも安倍は祝電を贈っていた。同年9月に安倍は首相に就任した。統一教会の機関紙「中和新聞」や国際勝共連合の機関紙「世界思想」は「この国の指導者にふさわしい」と期待感を滲ませている。先述したように2006年には霊感商法や布教・教化が違憲であるという最高裁の判決がすでにいくつも確定していた。全国弁連は「天宙平和連合」大会に安倍が祝電を贈ったことに対して批判の申し入れ書を送ったが無視された。同弁連の渡辺博弁護士はこう批判した。
 「首相たる者が、統一教会のような反社会的集団に肩入れするとはどういうことか。国家には国民の安全を守る義務がある。にもかかわらず、反対にそれを損なう側に協力しようとはとんでもない」(週刊朝日2006年10月20日)。安倍第二次政権は2012年12 月に成立した。ただし、この頃になると安倍ら右派政治家と統一教会の親密さの報道は、週刊誌やスポーツ芸能紙をふくめて、ごく一部を除き、鳴りを潜めたことは指摘しておく必要がある。
 安倍と「お友達」たちの統一教会との親密さが公然の秘密のように語られたのが、2015年の「世界平和統一家庭連合」(家庭連合)への名称変更の時であった。統一教会は同年9月1日に名称を変更したことを発表した(朝日新聞2015年9月2日)。
 名称変更を伝える朝日新聞の記事は200字強の比較的短いものであるが、そこには渡辺弁護士の「教団は正体を隠して霊感商法をしてきた。名称を変えたことで、その正体に気づかない人たちに再び被害が広がりはしないか心配だ」との談話も入っていた。なぜこの時期に改名が文化庁から認証されたのか。統一教会は1997年から韓国をはじめ各国で名称変更をしてきたのだが、この日本ではそれが叶わずにいた。その理由は明らかではないが、全国弁連は一貫して名称変更反対の申し入れを文化庁に行ってきたという事実はある。ここに安倍政権の影を推認する見方が浮上した。文化庁は文部科学省の外局である。名称変更時の文部科学大臣は、安倍の盟友、下村博文だった。その下村は大臣就任期間約 2 年半の間に、統一教会系の世界日報社の月刊誌「ビューポイント」に、3回のインタビュー記事で登場していた。もともとのつながりのみでなく、それが認証時期と一致することから、下村の直接の影響力が推認されたのである。なお、改名を祝う「出帆記念大会」が9月12日に千葉県の幕張メッセで1万人の信者を集めて開催された際、国会議員の祝電は60通以上あったが、、読み上げられたのは鳩山邦夫、亀井静香両氏の名前のみであった。
 2015年は安保法制が改定された年である。翌2016年は参議院選挙が行なわれた。その政治状況の中で統一教会の動きが展開された。2013年の参議院選挙では、比例区で自民党の北村経夫が統一教会の組織的支援で当選し、2016年の参議院選挙では宮島喜文が当選した。両者とも統一教会の約8万票の底上げのおかげで当選したといわれた。安保法制の改定時期のこと、国際勝共連合に支援された大学生集団「UNITE」が出現し、「安倍政権を支えよう!」と街頭で叫んだ。この集団は統一教会二世信者が結成したものだった(週刊朝日2016年7月8日、週刊金曜日2016年7月22日)。安倍政権が続くなか、統一教会関連でメディアに名の出てくる国会議員をあげると、稲田朋美元防衛庁長官、山谷えり子元国家公安委員長、荻生田光一自民党幹事長代行、元自衛官
の佐藤正久外務副大臣、中川雅治参議院議員らがいる。
 2016年にはアメリカのトランプ大統領が選出された年でもあった。その当選直後、大統領就任式の前に安倍は諸外国に先んじてトランプと電話会談を行い、さらにニューヨークに出かけて会談を実現した。だが当時、首相官邸はトランプとのパイプがなかった。トランプとつないだのは統一教会とかねてから親しかった側近議員だったという。統一教会がトランプとホットラインを持っているというのを知っていた、というのが公安筋の情報だった(新潮45 2017年2月号)。アメリカの統一教会は 70 年代から議会でロビー活動を行い、ワシントンタイムズは右派政治家を支援してきた。こうした経緯があることが、そうした情報のでてくる所以である。 
 なお近年はインターネットの情報が大きく比重を増してきているが、統一教会に関しては活字メディアよりもインターネットのほうがジャーナリズム情報も多い。そのインターネット新聞「やや日刊カルト新聞」10月13日は、12月の総選挙を前にして、統一教会と関係する31人の国会議員(うち2名は後継者)を、具体的な根拠を挙げながら列挙した。12月18日の同新聞は総選挙
の結果についての続報を伝えた。
 2018年は国際勝共連合50周年の年であり、10月25 日に東京のザ・キャピトルホテル東急で創立50周年を祝う会が開かれた。国会議員専用受付では20数人の議員または秘書が参加手続きをしていたという。閣僚、自民党三役の姿はなかった。取材するメディアはほとんどおらず、主催者も取材に非協力的だったようだ。50年前の岸信介元首相と笹川良一という大物右翼の協力、他
団体も巻き込んだ WACL の大会などと比べれば、その50周年を祝う会は出席人物も数も小規模である。それは、50年にわたる社会的批判と司法の判断、批判勢力の活動などによる結末といえる。しかし、統一教会は政界への影響力を一貫して持続してきた。それも第二次安倍政権になってからは名称変更に見たようにかなり活発である。2016年に統一教会系組織が主導した世界平和国会議員連合日本創設式には100人の国会議員と秘書が出席していたのである(フォーラム21 2018年12月号)。依然として注目すべき影響力がある、と考えられる。

5. 教祖文鮮明の死

 教祖文鮮明は2012年9月3日に死去した。92歳だった。彼が1975年に創刊を提唱した日刊紙世界日報は、1面に「世界平和に貢献」との見出しでその死を報じた。3面の解説記事では、彼が行った国際貢献を挙げているが、それは次のように4つにまとめることができる。
①国際勝共連合(1991年)、世界平和連合(1991年)、世界平和家庭連合(1996年)などを創設
②言論分野では、世界言論人会議を 1978 年から毎年開催。同会議において1990年には旧ソ連のゴルバチョフ大統領と会談。1982年に米紙ワシントンタイムズを発刊
③1992年の世界文化体育大典で「再臨主であることを公けに宣言
④2009年に自叙伝『平和を愛する世界人として』を刊行し、20言語に翻訳された。
 またワシントン発の記事は「米メディア、功績を称える」とあった(世界日報 2012年9月4日)。これらに示されていることは、いわば教団による文鮮明の対外的自画像といってよいだろう。
 では日本のメディアはどう報じたか。朝日新聞は8段の大型記事を掲載した。その見出しは以下の通り。
「統一教会、トラブル今も 霊感商法、被害相談1,129億円 説教集は1冊3千万円 合同結婚式、破局も 遺産相続巡り教団内で紛争」(朝日新聞2012年9月4日)。
 他紙は朝日新聞ほど大きく報じなかったが、記事は霊感商法と合同結婚式が社会問題化したことが共通していた。この2つが日本社会がもっとも記憶にとどめている統一教会の活動といえよう。ただ読売新聞9月4日は「メディアにも影響力 北朝鮮に積極的投資も」の記事を載せた。宗教専門紙の「中外日報」9月13日は、全国弁連全国集会での渡辺博弁護士の次の報告を伝えた。「(15日に韓国の)教団施設で営む葬儀で日本の信者3万2,000人が動員され、1人あたり弔慰金12万円を持参するよう指示が出ている」。実行されれば40億円である。また、「日本は四男派の一枚岩。四男は三男との係争を抱え(裁判金調達のため)日本に対する献金要請で新たな被害が出る恐れ」があると指摘した。
 週刊誌、スポーツ芸能紙は報じても大きくはなかった。「アエラ」2012年9月17日の1ページ記事は「教祖の死すなわち献金」と見出しにあるが、内容は最初に着物姿の在韓日本人女性信者が、韓国各地において慰安婦問題を謝罪すべく「土下座」のような「奇妙なパフォーマンス」を繰り広げていることを伝えている。また2006年に完成した清平の巨大な施設群と教団ビジネスについてふれているが、文鮮明の死に関しての言及は少ない。この施設群のうち修行施設は、日本から信者を連れて行き霊感商法を実行する場として関係者には有名である。
 教団後継者については教祖死去の前から利権争いからの分裂が伝えられてきた。実際、教祖死後に教団は分裂。状況の流動後、結局、教祖の妻、韓鶴子が「新教祖」として不動産を握り主流派となり、三男の顕進派、四男国進・七男亨進派の3つに分裂した。日本の統一教会の大勢は韓鶴子に従った。しかし、これに対し四男・七男派は韓鶴子が教義を変え「自分がメシア」だと言いだしたことなどをとらえて主流派を非難。日本の四男・七男派は本部に押しかけて騒ぎになったことがあった(週刊新潮2017年3月16日)。なお七男はサンクチュアリ教会を立ち上げた。ネットでは、アメリカの同協会の儀式で四男の銃器製造販売会社が作った銃を、信者たちが手にしている写真が出まわっている。

むすび

 ここで述べた統一教会に関する報道記事から何が見えてくるであろうか。以下に列挙したい。
 第1に、活字メディアの統一教会に関する報道の多さである。これは日本における布教の初期から増減を繰り返しながら50年にわたり持続している。宗教団体の記事としてはもっとも多い部類に属し、内容は社会との葛藤を扱っていることが特徴である。女性週刊誌やスポーツ芸能紙の桜田淳子報道にしても、底流には社会との軋轢がながれている。教団と社会との緊張は、依然として一定程度続いていると言える。
 第2に、活動の内実が宗教を核および外皮とした、多くの企業を擁するコングリマリットであり、かつ政界、政治家、学校を含む行政機関への浸透を図ってきたことである。自己利益の追求が重大関心であり、かつ、布教において正体を隠したりする。数多くのダミー団体をつくり、あたかも統一教会とは関係ない団体であるかのように装ったりする。ダミーとして、法人格を有した天地正教という仏教教団をつくり、活用した時代もあった。
 第3に、教祖のカリスマを中心に、独特の聖書解釈による教義と儀礼が構築されている。「地上天国」創造と人類救済の使命感を持ち、自己犠牲を厭わないことを理想とする。宗教的実践として合同結婚も霊感商法も敢行する。筆者の視点からすると、そうした精神構造、信仰構造の根底には、「スピリチュアル・アビュース」(霊性虐待、信仰虐待)が横たわっていることになる。信者たちが、自分たちの行為は社会的には強い批判がなされていると知ったとしても、内省
や疑いに至ることは難しい 。
 第4に、司法の場においては、社会との軋轢を生んだ教団の活動全体に対して強い疑義がたびたび示されている。それは、2 節で紹介した「青春を返せ訴訟」(違法伝道訴訟)における一連の布教・教化についての違法性の認定からも分かる。裁判所は当初は旧来の「信仰の自由」論から教団の布教・教化を是認したが、元信者側の膨大な具体的事実に基づく立証により、最終的には最高裁がその違法違憲性を指摘する複数の判決を出した。
 第5に、霊感商法については、民事では最高裁によるいくつもの違法認定があり、刑事事件とて摘発されたものは犯罪であるとされた。しかし、布教・教化にしても、霊感商法にしても、教団は根本的に改めることはしていない。この点は遵法精神の欠如と指摘することができる。
 第6に、本論が紹介してきた事実と教団の行動パターンを直視し、公共の福祉を守るという観点に立てば、憲法と法律にのっとった国による宗教法人への対応が求められる。文化庁は具体的に対策をとっていないが、文化庁のみがその責を負うとは言えない。
 第7に、国の対応に関しては、政界、具体的には政治家と教団の親密な関係の影響を指摘せねばならない。統一教会の政治家への働きかけ方は、組織票のとりまとめのような一般的な宗教団体による政党や政治家へ支援とは少しレベルが異なる。秘書養成教育をしたうえでの国会への秘書の送り込み、ボランティアつまり経費のかからない運動員の提供、それと組織的投票など、かなり深い関わりである。政治家利用と遵法精神の欠如との関係を指摘せざるを得ない。
 第8に、二世信者の存在がある。彼らはすでに成人し活動の前線に立ちつつある。キャンパスでの布教、「UNITE」の出現などでそれはわかる。統一教会の活動は継承されている。一方、親や社会との葛藤を起こす二世が存在し、彼らはその人生において、信者として育ったがゆえの苦難を背負うことがある。この二世問題は表面化しにくく、さまざまな問題があることが推測される。
 第9に、統一教会の影響を受けた「カルト」集団や教団の存在の問題がある。2000年初頭に、男児のミイラ化した遺体と乳児の遺体が見つかった宮崎市の「加江田塾」事件が報じられた。その主宰者と中心メンバーの女性は、元統一教会の信者だった。合同結婚式や共同生活を行い、霊感商法のようなこともしていたという。統一教会を脱会していても、身につけた教団の方法を踏襲していたと考えられる(毎日新聞 西部本社版 2000年1月21日、読売新聞 西部本社版 2000 年1月22日、週刊文春2000年2月3日)。また、教祖の鄭明析の女子大生への暴行が常態化していた「摂理」(キリスト教福音宣教会)は、1980年代半ばに韓国から日本に伝道された宗教である。鄭明析は元統一教会信者で、教義は同教会と類似し合同結婚式も行った。2002年には「週刊ポスト」(2002年11月1日、8日、15日の3週連続)が上記の内容を報じたが、大問題となったのは 2006年7月から 朝日新聞(大阪本社が中心)をはじめとする新聞雑誌が批判告発してからだった。事件が統一教会と関係ないとしても、集団の来歴からして「加江田塾」も「摂理」も統一教会の大きな影響のもとに生まれたと言える。宗教レトリックで精神を呪縛し、脅迫する霊感商法の手法は、客観的には、多くの開運商法の源流になった可能性がある。
 統一教会は21世紀においては「カルト問題」の脈絡において語られることが多い。宗教と社会の軋轢、葛藤は、以前からあったとはいえ、より多様に複雑になっている可能性がある。1980年代後半に出現し、1990年代から大きな社会問題を引き起こした諸宗教、オウム真理教をはじめとして、エホバの証人、幸福の科学、霊視商法の本覚寺・明覚寺、法の華三法行、ワールドメイトをはじめ、集団の規模は小さいものならばラエリアン、愛の家族、ライフスペース、ホームオブハート、神世界などを視野に入れると、統一教会の活動もまた従来の宗教史研究とは異なった視点から見ていく必要性を感じさせる。ニューエイジ、スピリチュアル、パワースポットなどの現象もまた、その比較の視野に入ってくると考えられる。
 「形骸化が著しい伝統仏教の現状にみられるように、日本人はいまや宗教と正対する意思も言葉も持っていない。この精神世界への無関心は、理性や理念への無関心と表裏一体であり」とは、作家の高村薫がオウム事件の死刑囚の初めの7人が処刑された直後に書いた文章である。「カルト問題」を現代社会の深刻な問題として考えていく上では、信仰や「精神世界」を声高に叫んでも、じつは「精神世界への無関心」の裏返しではなかったのではないかという見方をとってもいいだろう。「理性や理念」が薄弱であるからこそ、「カルト問題」は繰り返されるのではないかという問いかけである。そして、高村がいうように理性や理念への無関心は、精神世界(まだ宗教はその中心に位置すると思う)への無関心なのである。
 AI が人間のあらゆる面にかかわり、脳科学の知見が俗流化して行き渡る時代が目前に来ている。そうした時代に、統一教会が日本社会で展開してきたことを、具体的な事例に沿って明らかにしていくことは、現代日本における理性、理念、理想、霊性のあり方を深く考察することにもつながっていくと考える。