読んでて知らなかったことを恥ずかしく思いました。
“セイバツ”
蒋介石がやったからって日本の黒歴史が無くなることなどないわけで。
今日見聞きしたことを忘れないうちにメモしておこうと思います。
1930(昭和5)年に台湾原住民族のひとつ・セデック族の人々が、日本の苛烈な植民地支配に抵抗して蜂起した「霧社事件」の後、制圧されたセデックの人々が強制移住させられた川中島村(現・清流部落)を訪問しました。 https://t.co/PD69Mk8cCf pic.twitter.com/NnQZqEgcoG— 副主席 (@SEI__jou) May 2, 2023
村では日本語を話せるおじいさんお二人にお話を伺いました。
おじいさんたちは戦後生まれだけど、そのご両親は20代のうちに霧社事件を経験されたそう。日本の教育を受けたことから日本語に流暢で、おじいさんたちも両親から日本語を学ばれたのだとか。 pic.twitter.com/WZe0tguofi— 副主席 (@SEI__jou) May 2, 2023
「かつて村では、霧社事件のことはタブーだったんだ。誰も話したがらなかった。村を出て教育を受けて、はじめて霧社事件のことを知った。それで自分の父母に事件のことを聞いた。
……とにかく日本の労働に駆り出されるのがキツかった。ヒノキ(タイワンヒノキ)を運ばされたりしてね。 pic.twitter.com/qvzxBplBTJ— 副主席 (@SEI__jou) May 2, 2023
…他にも色々あって、もうああするしかない状況に追い込まれていたんだ」
日本警官の原住民族女性に対する扱い、文化的な蔑視など、当時を知る人々の回顧録のなかにはさまざまなことが書かれています。そして、彼らが運ばされたタイワンヒノキは、日本のさまざまな建築に使われたのでした。 pic.twitter.com/9J68bRxKkR— 副主席 (@SEI__jou) May 2, 2023
「事件の後、事件を起こしたセデックの人々はここに連れてこられた。絶望して自殺する人がいたり、色々あってこの村の人口は200人にまで減ったんだ」
(事件そのものや自殺だけでなく、植民地当局が対立する他の原住民族をけしかけて事件を起こした村の人々を殺させたり、 pic.twitter.com/GBFV2R93KI— 副主席 (@SEI__jou) May 2, 2023
「帰順式」に村の人々をおびき出し、好ましからざる人物を拘束して拷問死させたりもしています。
そして標高1200mの霧社と異なり、標高400mの川中島はマラリアが猖獗を極める土地であり、人々は次々とマラリアに倒れたのだといいます。
もともと山の上で焼畑農業や狩猟を生活手段としていた pic.twitter.com/Wgx5E4hZaO— 副主席 (@SEI__jou) May 2, 2023
…セデックの人々に対して、植民地当局は低地の、それも地形上恵まれざる土地での不慣れな稲作を強い、そして稲作の神様(神道)への信仰を教え込んだのでした。
いま、その神社の跡には「餘生紀念碑」(生き残った人々の記念碑)が建っています。) pic.twitter.com/0Ns7mPfAJw— 副主席 (@SEI__jou) May 2, 2023
「戦争(第二次大戦)の時は村の若者が何人も戦争に行ったんだ。20人行って、戻ってきたのは8人。あの家はフィリピン、あの家はニューギニア。色んなところに行かされた」
…太平洋戦争中、台湾原住民族の若者たちは「高砂義勇隊」として、「志願」して多く戦場に向かいました。— 副主席 (@SEI__jou) May 2, 2023
特に「霧社事件を起こした蕃人」としての汚名を雪ぐために、川中島からは特に出征の圧力が強かったのだといいます。
…慣れない南の島々にあって、高砂義勇隊の人々は日本人の兵隊に対して、ジャングルでの食べ物探し、現地の人々との意思疎通など、さまざまな点で力になったのだそう。 pic.twitter.com/pRn1UQmXmO— 副主席 (@SEI__jou) May 2, 2023
一方で原住民族の人々に対する差別的待遇は無くなることはなく、夫が出征して留守にしていた原住民族の婦人たちが、台湾に駐留していた兵士に対して性的サービスを強制させられた事例も記録されています。
そして、戦後「外国人」とされた高砂義勇隊の人々には、日本人兵士ほど十分な補償が pic.twitter.com/l4Ds0w44DU— 副主席 (@SEI__jou) May 2, 2023
…されなかったのでした。
それでもおじいさんは言います。
「この村には、そんなに日本のことを恨むという意識はない。原住民族には、相手の首を狩ってしまえば、それでお互い恨みなしという意識がある。霧社事件もそういうものだと思っている」 pic.twitter.com/vmqR6j7PYX— 副主席 (@SEI__jou) May 2, 2023
生々しい話なので伏せますが、おじいさんの一人は、霧社事件のなかでも中核的な役割を果たした人のご家族でした。
おじいさんたちは自分の3つの名前―セデック語、日本語、中国語の名前を教えてくれました。
「日本が征伐しに来てから、日本語の名前にさせられた。国民党が征伐しに来ると pic.twitter.com/LNkWLtghjIセイバツ、という言葉が強く耳の奥に残っています。
かつて国家に属することなく山野に生きていた先住民の人々が、巨大な近代国家のもっとも底辺、もっとも周縁に取り込まれ、翻弄され続けてきた歴史の重み、つらさが「セイバツ」という日本語に詰まっているように、わたしには思われたのでした。 pic.twitter.com/i4g1uVl5Fx— 副主席 (@SEI__jou) May 2, 2023
a>
— 副主席 (@SEI__jou) May 2, 2023
…今度は北京語の名前にさせられた。この村の若者はもう、北京語しか話せなくなっているんだ。征伐されるたびに、おじいさんと孫、父母と息子とでも話すことが難しくなる。
今度はどこがセイバツに来るんだろうね」 pic.twitter.com/k8idwk73CV— 副主席 (@SEI__jou) May 2, 2023
セイバツ、という言葉が強く耳の奥に残っています。
かつて国家に属することなく山野に生きていた先住民の人々が、巨大な近代国家のもっとも底辺、もっとも周縁に取り込まれ、翻弄され続けてきた歴史の重み、つらさが「セイバツ」という日本語に詰まっているように、わたしには思われたのでした。 pic.twitter.com/i4g1uVl5Fx— 副主席 (@SEI__jou) May 2, 2023