クーリエ・ジャポンに『ロシア出身の歴史家アレクサンドル・エトキントが「ロシア連邦は崩壊する」と確信する理由――「帝国崩壊」のシナリオと国際社会への影響』というお題のコラムが載ってました。
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Alexander Etkind『Russia Against Modernity』
◆歴史家アレクサンドル・エトキント「ロシア連邦は崩壊する」(1/2)【クーリエ・ジャポン:レクスプレス 2023年7月30日】
「私はロシア連邦の崩壊を求めているのではない。ロシア連邦は崩壊すると予測しているのだ」
ロシア出身の歴史家アレクサンドル・エトキントは、新著『ロシアの反近代』(未邦訳)でそう言い放つ。エトキントは1955年、サンクトペテルブルクで生まれた。2000年代初頭にロシアを離れ、英ケンブリッジ大学、フィレンツェの欧州大学院を経て、現在はウィーンの中央ヨーロッパ大学で教えている。
ウクライナでの戦争が「ロシア帝国」滅亡の最終段階になると予測するエトキントに、仏誌「レクスプレス」が話を聞いた。
──ロシア連邦は早晩、崩壊すると確信されているそうですね。どうしてですか。
歴史をひもとけば、多くのことを学べます。未来のことはわかりませんが、私たちは現在を生きており、過去のことなら知っています。帝国はロシアを除いてすべて崩壊しています。その意味では、ロシアは最後の帝国なのです。通常、帝国の崩壊は、戦争によってもたらされます。世界大戦で帝国が崩壊した事例もあります。
ロシア帝国の崩壊のプロセスは、非常に長い時間をかけながら進行してきています。崩壊が始まったのは第一次世界大戦末期の1917年です。このとき、ポーランドとフィンランド、それからウクライナがロシアから分離しましたが、ウクライナはその後、ロシアに再併合されました。
1991年にも大きな動きがありました。ソ連を構成していた14ヵ国(コーカサス地方やバルト地域、中央アジアの共和国)が独立国家になったのです。ウクライナもそのとき独立した国家の一つです。つい最近の出来事のように感じる人もいるかもしれませんが、あれからすでに30年以上の歳月が経ちました。その間、プーチン(大統領)はロシアを冷凍状態で維持してきたのです。
私見では、ロシアの今後を予測するうえで最も参考になるモデルは、オーストリア・ハンガリー帝国です。第一次世界大戦さえ引き起こさなければ、ハプスブルク家の帝国をその後も存続させることができたのと同じで、プーチンとその仲間たちの権力も、あと十数年は安泰だったのです。それなのに、プーチンは戦争開始を決定しました。
ロシアは「衰退している帝国」である
──いまのロシアを、なぜ「帝国」だと言うのですか。
帝政ロシアが倒れた後にソ連が続き、そのソ連が崩壊すると、ロシアの正式な国名は「ロシア連邦」になりました。ロシア連邦は、数多くの地域で構成されていますが、それぞれの地域は法的地位も異なり、一部は「共和国」とも呼ばれています。
通常、連邦制の特徴は、加盟も離脱も自由だというところです。たとえば、EU(欧州連合)は連邦制ですので、英国はEUを離脱するときに四苦八苦こそしましたが、戦争をする必要はありませんでした。
一方、ロシア連邦には、そのような離脱の仕組みはありません。その意味において、ロシアは連邦制の国家ではないのです。ロシアは「衰退している帝国」と見るべきであり、この帝国はやがて崩壊します。
ロシア政府は、これまで経済力を使って封建制を敷いてきました。「連邦」を構成する共和国の数々に補助金を出し、これらの共和国は、補助金を受け取るのと引き換えに、国家としての独立や発展を断念していたのです。
補助金の財源は、石油収入です。しかし、いまのウクライナでの戦争で、中央と地方のバランスが乱れています。ウクライナの前線に送り込まれた兵士も、戦争で死亡した兵士も、その多くがロシア国内の最も貧しい地域の出身者です。
また、西側諸国が実施した大規模な経済制裁が国家財政に重くのしかかることになれば、中央が地方にお金を配って黙らせる力が制限されることになります。
──ボリス・エリツィン大統領時代のロシアでは、地方分権化を推し進めて、本当の意味での「連邦制」の樹立をめざした時期があったかと思います。
ソ連崩壊後、エリツィンが何よりも気にしていたのは、ロシアに残された領土を保つことでした。エリツィンは、各地域がロシアから離れていかないように、地方に大きな自治権を持たせました。そのために憲法を修正し、改革を実施しています(エリツィンは1996年、連邦構成主体が選挙で首長を選べる権利を与えた)。
タタルスタン共和国が同国の憲法を改正し、主権宣言ができたのも、そういった事情があったからです。エリツィンの時代は、各地域の指導者がさまざまな権力を持って、経済を運営することができていました。しかし、プーチンが権力の座に就くと、こうした地方分権化の動きに終止符が打たれたのです。
◆歴史家アレクサンドル・エトキント「ロシア連邦は崩壊する」(2/2)【クーリエ・ジャポン:レクスプレス 2023年7月30日】
〔※23日未明、ロシア軍の大規模なミサイル攻撃により破壊された、ウクライナ・オデッサにある正教会の救世主顕栄大聖堂
Photo: Nina Liashonok / Getty Images〕ロシアは「衰退している帝国」である
──最初に分離独立運動が始まる地域はどこになりますか。
まずはコーカサスで始まり、そこから東へ拡大していくのではないでしょうか。それがどこまで広がるのかは、現段階ではわかりません。
ロシア帝国の未来の鍵を握るのはシベリアのはずです。ロシアの原油と天然ガスの大半は、ハンティ・マンシ自治管区とヤマル半島の西シベリアの2地域から出ています。これらの2つの自治管区が、湾岸諸国のように、自分たちの資源を自分たちで運用したいと考え出す可能性があります。そうなってしまうと、中央の権力は、生命保険を失ったも同然です。
──中国と国境を接する極東ロシアはどうでしょうか。
中国が東シベリアに関心があるのは間違いないです。中国と東シベリアの国境線は3000キロメートル以上の長さがありますが、東シベリアの南部と中国北部の人口密度を比較すると1対100です。ロシア領に住民が1人いたら、それに対して、中国領のほうには住民が100人いるという具合です。
すでに非公式の入植活動が進行しています。中国人が大量にシベリアの土地を買い、耕して、木を切っているのです。合法の入植活動もあれば、非合法のものもあります。シベリアの大都市に行くと、中国との国境から遠く離れたクラノヤルスクのような都市でも、中国人の店やレストランが林立しています。また、これはあまり知られていませんが、シベリアの農村部に移住する中国人農家の数も、かなり大きなものになっています。
ロシアはこれを受け入れざるをえない状況です。平和的なシナリオでは、この非公式の入植活動がこのまま続き、国境線がだんだんと消しゴムで消されるようになっていくはずです。
しかし、平和的ではないシナリオも想定できないわけではありません。東シベリアの幾つかの地域は、もともとは中国の領土だったのです。それが第二次アヘン戦争(1856‐1860年)後の時代、すなわち中国で「百年国恥」と呼ばれる期間にロシア帝国に併合された歴史的経緯があります。中国は、かつて外満州と呼んでいたそれらの東シベリアの地域を取り返していないのです。
プーチンがウクライナに侵攻したことで、「歴史に端を発する復讐」といった主張が政治的にまかり通るようになりました。プーチンが言っているのは、「私たちはこの土地を支配できていないから、取り返すのだ」ということですからね。同じような主張が、ロシアに領土をとられた中国から響いてくる可能性がないわけではありません。
──分離独立をめざすロシア国内の各地域の間で、連帯の動きはありますか。
対話の場はありますが、それは基本的にロシア国外に設けられています。取り仕切っているのは、国外に亡命したロシア人たちです。拠点の多くはヨーロッパにあります。
そのなかのひとつに、反体制派や分離独立運動の代表が作った「ロシア後の自由な民族フォーラム」というものがありますが、2022年5月にワルシャワで第1回会合、2022年7月にプラハで第2回会合が開かれました。このフォーラムでは、自由な国家が30ヵ国ほど集まって自発的に連合を形成する構想が提言されています。ロシア国内では無力同然の運動といっていいかと思いますが、物事の始まりとは、そんなものです。
ロシア連邦が崩壊したら、中央政府はどうなるか
──「ロシア連邦」が崩壊すると、何が起こりますか。
ロシア国内だけでなく、国際社会にも大きな問題が次々と起こるはずです。まずは備蓄された核兵器をどうするのか、というのが喫緊の課題になります。現時点ではプーチンは核兵器を使っていませんが、それは米国や欧州の抑止力という深刻な脅威があるからです。
もしかすると、中国の抑止力もさりげなく影響しているのかもしれません。ただ、ロシアがバラバラに崩壊することになれば、ロシアが保有する核兵器を、複数の地域が引き継ぐことになります。
実はロシアは、すでにこの問題に直面したことがあります。1991年にソ連の核兵器を受け継いだウクライナのことです。そのときは、ウクライナが核兵器をロシアに渡し、その代わりに仏露英米などの国々がウクライナの安全を保障するということで解決できました。このとき米国は、ミサイルの廃棄も手伝っています。
ロシアがいま保有する核兵器に関しても、同じ方法で対処できる可能性はあります。ロシアの核兵器の大半は、かなり古く、廃棄すべきものです。こうした核兵器は、いまこの瞬間も、世界にとって危険なものとなっています。
ロシア連邦崩壊の政治的影響は、核兵器の問題以外でも多数出てくるはずです。新しい国家が複数誕生することになれば、それらの国家間で国境紛争が幾つも起きる可能性があります。とはいえ、こうした国境紛争が、いまのウクライナでの戦争より悲惨なものになるかといえば、その可能性は低いです。
──実現する可能性が最も高いロシア崩壊のシナリオを教えてください。
ロシア崩壊後にできあがる地図は、どんなものになるのか想像してみましょう。各国の領土を示す国境線は、現在のロシア連邦を構成する共和国や自治管区といった行政区画の境界線とほぼ重なるはずです。現状でも、これらの各地域には、それぞれ首都も行政府もあり、その地域の経済や政治を動かす地元のエリートがいるのです。
ただ、統治構造は比較的脆弱なので、これらの地域は、まずは国家としての体裁を整えなければなりません。一部の地域は、隣接する地域を自国の領土に組み込もうとする可能性もあります。
また、シベリアを狙う中国のように、近隣諸国が領土の拡張を狙うことも想定できます。長期に及ぶプロセスになるのは間違いありません。終わるまでに1世紀かかる可能性もあります。
──いまのロシアでは、反体制派の動きが徹底的に弾圧されています。そんな状態では、現状とは異なるロシアを作り出そうとする構想が出てくるようには思えません。2020年に極東のハバロフスクで中央政府に対する大規模なデモが起きましたが、あのデモは厳しく鎮圧されました。
ただ、弾圧するにも、弾圧を実行する人員が必要になるのです。警察や国家親衛隊などのことです。これらの公務員は、高い給料をもらうことに慣れてしまった人たちです。この20年間、2、3年ごとに車を買い替え、輸入したドイツ車や日本車を乗り回す暮らしを送ってきました。
しかし、いま欧州は、ロシアの原油を買わなくなりました。今後、中国やインドがロシアの原油を買わなくなれば、これらの公務員に払うお金がなくなってしまいます。
──とはいえ現状では、中国もインドもロシアの原油を買い続けていますよね。
その通りです。しかし、それが今後、変わる可能性もあります。西シベリアの原油がインドに運ばれているわけですが、西シベリアとインドを直結する石油パイプラインはありません。
「黒い黄金」は、まず既存のパイプラインで運ばれた後、タンカーでバルト海を渡り、欧州とアフリカを回ってインドに運びこまれています。その長い航海に出る前、船はエーレスンド海峡(バルト海と北海を結ぶ海峡)という非常に狭いところを通らなければなりません。水深が浅く、嵐が多い海峡です。ここではデンマーク政府が水先案内のサービスを管理しており、この海峡を通る石油タンカーに水先案内人を一人乗り込ませています。
ここで想像してみてください。デンマークの水先案内人の組合がストライキを起こし、ロシア船に乗らないと言ったらどうなるでしょうか。実際、そんなことを一部のデンマーク人水先案内人が示唆したこともあったのです(註:2023年3月、水先案内人たちがロシアの石油タンカーへのボイコットを呼びかけたが、水先案内人の組合とデンマーク政府が、水先案内のサービスの継続を決定した)。
この件で、デンマーク政府やEUが動く可能性はあります。
──ただ、現時点では、それはただのSF同然の話でしかないわけですよね。EUもインドとの関係を悪くはしたくないはずです。
たしかにそんなことをすれば、EUの利益に反することが出てくるのは事実です。しかし、西シベリアとインドを結ぶルートがあるからこそ、ロシアは戦争経済を維持することができ、EUの国境のすぐ近くで戦争ができているのです。
EUはそのことをわかっていますので、もしかしたらEUの指導者たちが、いまよりも過激な決定を下す日が訪れる可能性もあります。
──ロシア連邦が崩壊したら、中央政府にはどんな未来が待っていますか。
これは大事な質問です。モスクワの中央政府は存続し続け、言うなれば、第一次世界大戦後のウィーンに少し似るのかもしれません。消失した帝国の巨大首都というわけです。ウィーンの場合、「頭だけで体がない」と言われ続けました。第一次世界大戦後のウィーンでは、住民が大量に移動したほか、内戦も起きました。この内戦は1週間続き、約千人の死者が出ました。
ウィーンの民衆の間では非常に重大な出来事して記憶されていますが、いまのウクライナでの戦争とは、比較できるものではありません。
PROFILE
アレクサンドル・エトキント 1955年サンクトペテルブルク生まれ。歴史学者。2000年代初頭にロシアを離れ、英ケンブリッジ大学、フィレンツェの欧州大学院を経て、現在はウィーンの中央ヨーロッパ大学で教える。