ググったら20年前の論文も見かけたので、併せて参照を
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山本真実『イギリスの児童養護施策の変遷(1) : 16世紀以前から17世紀まで』【淑徳大学社会学部研究紀要37号 2003年3月6日】
https://core.ac.uk/download/pdf/268064149.pdf
こういうのを見ると尚のこと代理出産って何なんだろうな・・・と考えさせられます(個人的には倫理的にも医学的にも代理出産に全面否定)
孤児を引きとって養子にするとかじゃぁアカンのかな?とか
1729年、一つの崇高な試みが社会的な逆風と、身分差による偏見、無理解、ディスコミュニケーションの末に潰えようとしていた。しかしこの年を境に再び理想は蘇る。
21人の女が、活路を開いた。 pic.twitter.com/YnNxX9EBbn
— エリザ (@elizabeth_munh) August 28, 2023
トーマス・コラムは1668年、イギリス南部の港町、ライムリージスに産まれる。貧民とまでは言わないまでも、貧しい生まれだった。
彼の兄弟姉妹のうち、乳幼児期を生き残ったのは彼1人で、物心つく頃には母は他界しており、父の稼ぎも十分ではなく、コラムは一刻も早く大人になる必要があった。 pic.twitter.com/dmAf7F8Lku
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11歳になると父親は唯一の生き残りであるコラムを船大工として丁稚奉公にやり、コラムは子供ながら船に乗り込む。
現代的な感覚からすれば悲惨に見えるものの、コラム自身は身を悲観する事はなく、寧ろ常にある疑問を抱えていた。
「何故、神は特別僕を誼み賜うたのだろう?」
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他の兄弟は皆死んだ。母も死んだ。自分は何故か生き残っている。
子供の世界は小さい。コラムは自分がたまたま生き残ったのではなく、何らかの運命のために生かされているのだと確信し、信仰篤く、また日々を感謝して真面目に過ごす。
コラムの生きた時代は大西洋貿易が活発化した時代だった。
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当時イギリスの植民地だったアメリカとの間はひっきりなしに船が行き交う。コラムは船大工として、また船乗りとして経験を深め、ある程度纏ったお金を稼ぐとアメリカに移り、そこで造船所を立ち上げるほど成功し、妻を娶って十年ほどをアメリカで過ごした。
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成功者となってもコラムの胸から疑問が消えない。何故? 何故自分は生かされているのか?
その答えをコラムはイギリスに帰ってきた時に得ることになる。ロンドンへと至る道すがら、大勢の孤児達がまるでごみのように倒れ伏し、死んでいるのを見てコラムは衝撃を受けた。
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当時、ロンドンは急速に規模を拡大しており、地方から大量の人々が押し寄せてきていた。
貧富の差は年を追うごとに拡大し、中世から貧民保護を司る教会では救いきれないほどの生活困窮者が溢れる。
中でも一等厳しい立場に立たされたのが、社会的に不道徳とされた未婚の母と、その子供達だった。
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「なんで真面目にやってる者をさしておいて、ふしだらな女とその子供を優先せねばならん。自業自得だろう」
貧しさが不道徳と結びつけられる当時、正式の結婚なしに子供を産んだ母親の立場はひたすら弱く、大勢の母親が親子とも心中するか、やむなく子供を捨てるかと言う絶望的な選択を余儀なくされた
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「道端で死に絶えているあの子達と、私と、何が違うのだ」
コラムは50歳にして天啓を得た。
「子供を養うだけの力のない母親から子供を引き取る、公的な施設や機関がこの国に必要だ。残りの人生全てと引き換えでも惜しくない」
コラムはイギリス初となる法人化された孤児院の設立を決意する。
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しかしのっけから計画は挫折と頓挫を繰り返した。
一つは貧しいのは自業自得とされており、孤児院は無責任な人間が産んだ子供に無益に税金を落とすと考えられたこと。
もう一つは、コラム自身の出身身分の低さに由来した。宮廷や貴族向けの礼儀作法や請願のやり方が分からない。
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そもそもイギリスの上流は商人を好まず、対等ともみなさない。仲間入りしたいなら、商売の臭いを消し、土地を購入して地代収入だけで働かずに優雅に暮らし、礼儀作法や言葉遣いを完璧にしないと会話する価値もないと見做す。
コラムには何一つなく、従ってどんなに熱心でも嫌悪感を向けられるのみ。
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七年を無為に過ごしたコラムは失望した。
「自分自身の花のなさをここまで痛感したのは初めてだ……」
腹立ち紛れに国王夫妻向けにコラムは手紙を書く。この野郎、ズボンを下ろしてケツを差し出せ。そこまで書いてくしゃくしゃに丸める。
「こんなだから支持されんのだ……」
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ここにきてコラムは考え方を変えた。自分には花がない。説得しようにも話を聞いてくれない。なら自分以外の誰かにそれを担当して貰えばいい。
こうしてコラムはかつて仕えたツテを当たり、高位貴族のサマセット公爵夫人に面会を申し込む。両者は英国国教会の普及と福祉協会のメンバーでもあった。 pic.twitter.com/hJU2h8Cdno
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サマセット公爵夫人シャーロットは市井で死にゆく子供と、子供を抱えたまま社会から爪弾きにされ、行き場をなくす女性達に共感し、コラムの孤児院計画にたちまち賛同する。
「私に力はありません。全ては夫の管理下です。ですが、近しい人を説得するくらいはやってみせましょう」
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サマセット公爵夫人はコラムの孤児院計画の最初の賛同者となり、彼女の友人達の高位貴族女性がその後、わずか数ヶ月で14人コラムの支持に回り、近親者に熱心に計画を説いて回った。…
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しかし計画が現実味を帯びると、今度は社会的な批判と対決する事をコラムと女性達は余儀なくされる
「なんで不義の子のために、そこまでせねばならぬのか。暖かい毛布、立派な着物、腹いっぱいの食事、真面目に働く俺たちでも得られないのに」
説得に回る女性達も批判された。
「夫に断りもなく!」
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更に6年が経過した。この間、コラムも、支持に回った女性達も意見を変えることなく頑として意志を貫いた。
コラムの孤児院計画に賛同する女性は21人を数える。公爵夫人8名、伯爵夫人8名、男爵夫人5名。
彼女らの存在はコラムに足りない「花」と「重み」を提供した。
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「いいお知らせがあります。王妃陛下がこの計画に格別のご興味をお示しです」
サマセット公爵夫人が側仕えする王妃、キャロライン王妃は慈悲深く優秀で、あまり優秀ではない国王ジョージ2世に代わって宰相ウォルポールと共にイギリスを統治する、影の国王だった。
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当時最新の試みだった天然痘に対するワクチン、人痘の接種を推進したのもキャロライン王妃だった。
そもそも計画に賛同して署名した21人は全員キャロライン王妃の側仕えであり、貧民上がりの慈善家の計画は彼女らを通じて遂に王室まで届いた。
計画は日毎に現実味を帯びていく。 https://t.co/2AsJg7fgJE
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キャロライン王妃が惜しくも夭折した後も、妻として、政治的パートナーとして王妃を愛していたジョージ2世は計画を止めることなく、遂にイギリス初となる孤児院が設立される。コラムにとって実に、17年かけた勝利だった。
計画の起爆剤となった21人の女性は『品格ある才女たち』と讃えられる。
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社交界の花形達が表に立った孤児院への出資は、『ファッショナブル』なものとなった。寄付は流行となる。
「コラムの奴、凄いことをやったもんだな……。俺も協力するとするか!」
イギリスの国民的画家で、児童教育や福祉に特別な関心を持つホガースは無償で腕を奮っては孤児院に寄付する。
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ホガースはゲインズバラやレイノルズといった後にイギリスを代表する画家達にもそれを勧めたため、孤児院の中には巨匠達の名画が満ちる事になった。
「やるなぁ、ホガース、なら私は音楽で支援するとしよう」
音楽家ヘンデルはチャリティコンサートを孤児院で毎年開催し、その収益を全額寄付する。
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こうしてコラムの孤児院は自業自得の大義名分の下に死すべき運命に置かれた子供達を救い、職業訓練を施し、社会へと送り出す。
コラムは理想主義を貫きすぎたためにやがて委員から外されたものの、終生孤児院に関わり、数多くの子供達の洗礼親となった。
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一方で孤児院が回り出すと、その起爆剤となった21人の女性達はたちまち忘れ去られた。しかし近年、最も苦しい時期に時代の風潮に抗って粘り強い説得を続けた彼女らへの再評価も進む。
理想を抱く実務家と、手足を縛られた看板娘達は、手を取り合って崇高な事業を成し遂げた。
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