昨年2月に八王子市の精神科病院『滝山病院』で発覚した患者への虐待事件に関して、被害者支援にあたっている弁護士・相原啓介[]さんのツイートが偶々目に止まったのと、書かれている内容の重要性、あと投稿自体が長文なこともあるので、備忘録がてら転載します。
ETV特集に関する典型的な誤解の1つだと思いましたので少し触れさせていただきます。
報道されたことで受入れ病院が増えましたか、という点ですが、増えている訳がないという暗黙の前提があるようですが、誤りです。… https://t.co/6dw8EYTGX8
— 弁護士 相原啓介(一部の問題等ある精神科病院からの退院支援プロジェクト) (@taiinshien) August 1, 2024
※参照→追跡「滝山病院事件」“不可解な医療”も 精神科病院で何が?【NHK 2023年6月27日】
→精神科病院でなにが… 追跡・滝山病院事件【NHK:クローズアップ現代 2023年6月27日】
→ルポ 死亡退院 精神医療・闇の実態【NHK:ETV特集 2024年7月12日】
ETV特集に関する典型的な誤解の1つだと思いましたので少し触れさせていただきます。
報道されたことで受入れ病院が増えましたか、という点ですが、増えている訳がないという暗黙の前提があるようですが、誤りです。
現実には番組後、受入れ病院は増えました。事件を受けて新規に透析を導入してくださった精神科病院さえもありますし、すでに受け入れている病院の対応もより柔軟になりました。
そもそも批判がなければ何も始まらないというのが動かしがたい現実です。当然ですが、批判せずにただ見ていても状況は全く改善しないのです。
また、番組によって多くのご家族や自治体が惨状に気が付いて、番組直後に退院や転院をしたおかげでたくさんの方が救われました。私の目には、報道が現実に多くの人の命を救ったという風に見えています。機会を十分に活かせずに不完全に終わったのは東京都による退院支援だけです。
そして、安全な場所から綺麗ごとを言えば済む身分、というのもよくあるマスコミ批判ですが、今回の番組についてはあたらないように思います。
私はあくまで一取材対象者としてかかわっていただけですが、それでも、死亡退院を制作された二人のディレクターが1年半以上の間、目の前でどんどん人が死んでいく惨状を目の当たりしながら泣きたくなるのをこらえて一人ずつ目の前の被害者を助けようとし、なおかつ行政も警察も有無も言わせないほどの圧倒的な証拠がなければ動かない現実の前で、どれほど苦悶しあえぎなから地獄のような日々を重ねていったのか、その一部始終は存じています。
マスコミ、と抽象的に世間では言いますが、その裏側には現実に一人一人の人間が実在しているのです。何か、NHKという大きな組織が巨人のようにゆらゆらと動いていてその社員は巨人の肩に乗ってさえいれば何となく進んで行きそのうちにいつの間にかあのような報道に辿りつくわけではないのです。
私も精神科臨床の現場にいましたので現場のご苦労は重々承知しておりますが、どのような臨床現場にいようとも、今回のこのような批判は、むしろ事件発覚前の番組制作者が立たされていた孤立無援の地獄の外側の安全な場所から、事件発覚後に完成した番組を一視聴者として気軽に視聴したうえで、どうせマスコミは批判するだけ批判して視聴率を稼いで喜んでいるだけ、というような極めて一般的な印象論をぶつけるだけであって、とても非生産的だと思います。
マスコミをまとめて批判するのは簡単ですが、マスコミと一口にいっても、マスコミは一人の人間でも一つのまとまった団体でもありません。
報道機関の一切存在しない日本社会を望むのであれば別ですが、そうでないのであれば、玉石混交のジャーナリストが無数に存在する中で、きちんと批判するものは批判する、支持するものは支持していく、という姿勢が必要であり、十把一絡げなマスコミ批判は、ただの出口のない不毛な感情のはけ口にしているだけということになりかねないと思います。
さらに、「そういったって滝山の患者は滝山以外に行き場なんてないだろう」というのも繰り返し述べてきた通り、事実ではありません。
滝山病院は、定員288名ですが、現在は50名程度まで入院患者さんは減っていて、従前の状況と変わらなければ要透析の患者さんはさににその半数以下しかもはやいません。
つまり、報道がなければ滝山にいたはずのおらそく100名前後の要透析患者さんの大半は、すでに他の病院や地域の中で現実に受け入れられ別の場所で暮らしているのです。でなければ、滝山に行くはずだった人たちが大量に路頭に迷い、すでに別の社会問題化しているはずですが、そのようなことは起きていません。
その間に都内の要透析の精神科患者さんが減った分けではありませんので「滝山病院しか現実に受け入れ先がない」と言われていたものが、実はその気になって探せば少なくとも滝山が受け入れていた人数程度は他にも受け入れ先があった、というのが事件によって明らかになった事実です。
ですので、滝山病院は必要な施設ではなく、不要な施設です。端的に言えば、できるだけすみやかに廃院にして、その分の診療報酬を少しでもまともな他の病院に回すべきです。
もちろん、需要と供給には波があるので、現在でも大波がくれば施設数はおそらく十分とはいえませんので、中長期的には対応可能な病院をもっと増やす必要はあると思います。
ただ、だからといって滝山レベルの異常な病院まで必要悪として残してきた社会の在り方を反省せずによいということには全くならないと思います。
最後に、滝山病院だけを批判したって意味がない、という話もよく聞かれますが、これも誤りのように思います。
もちろん、滝山病院だけを批判していても異常な病院が一個ありました、ひどかったですね、というだけで社会的な意味はあまりありません。
ですが、滝山病院ほど無茶苦茶な病院でさえ行政が発見できず、発見後もきちんと業務停止等々の対応がとれない実情は放置できません。
それを何とかしていくためには、滝山病院事件を最後まできちんと見届け、具体的に滝山病院で起きたこと、まだ起きていることについて、批判すべき点が残されていたらきちんと批判する、という道を通らずに抽象的に「社会全体で何とかしましょう」だけでは先に進むことができないのです。
「病院だけ責めてもしょうがない」というのは日本人的発想としてよくありますが、そのような曖昧さこそが、あの宇都宮病院でさえ現在も存続し、実刑判決を受けた石川元院長さえも復権している、というような訳の分からない状況を生み、そして何度も何度も繰り返し精神科病院におけるこのような大規模虐待事件を生んでいるのです。
個々の病院だけを批判しても仕方がないからといって、事件を起こした病院への具体的な批判を抜きには社会問題も語りようがない、ということは常に意識する必要があります。
理論的にも、惨状を生み出した個々の病院への批判と、その背景にある社会問題への批判とは、どちらか一つしかできない、というものではありません。
これらは、二者択一の関係にあるわけではなく、同時に両方をきちんと批判することで初めて少しずつましな方へ社会が変わるのです。
番組は、その両方をきちんと両立させていました。ましてや、抽象的に精神科病院批判をしていた訳では全くないように思います。
個別の投稿がどうこうということではありませんが、このような投稿の内容は今の日本社会の1つの典型的な見方だと思いますので、この件に関し、私の見解を示させていただきました。