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◆株大暴落は「植田ショック」と歴史に刻まれるのか――窮地救った内田副総裁の講演に「市場隷属」の危険【東洋経済オンライン:窪園博俊 2024年8月8日】
企業・家計の円安への悲鳴を受け、金融政策要因で円安が再燃することは避けたかった日銀。だが、市場にはタカ派姿勢がサプライズとなり、不運も重なった。
植田日銀が7月31日の金融政策決定会合で、追加利上げを決定した。上げ幅はわずか0.15%だが、日経平均株価は8月5日に一時4700円超の暴落を演じた。いくつかの要因が重なったものだが、市場では「植田ショック」とも称される。
ただ、日銀発のショックとして定着するかは、今後の経済・物価の動向次第だ。「インフレファイター」を鮮明にした植田日銀の勝算を占ってみる。
■人が変わったような「タカ派」会見が引き金に
まず、日銀の政策決定と市場反応を時系列で整理しよう。
日銀が利上げを決定した7月31日の日経平均終値は前日比575円87銭高だった。直前の観測報道もあり、利上げはほぼ織り込み済み。事前に株を売った向きが材料出尽くしで買い戻したとみられる。ドル円は決定前後でやや上下したが、1ドル=152円台を維持した。
この時点で利上げ決定は特段の波乱要因ではなかった。
雲行きが変わったのは午後3時半から始まった植田和男総裁の会見だった。これまでハト派的な印象が強かったが、この会見では「まるで人が変わったかのようなタカ派」(大手邦銀)に転じたのだ。
特に「0.5%は(壁として)意識していない」(植田総裁)などのフレーズは「断続的に利上げする印象を与えた」(同)とされ、会見中から円高が加速した。
そして、翌日から日経平均は下げ足を速めた。8月2日発表の7月の米雇用統計が弱く、「アメリカ経済の不況入りへの懸念が広がった」(外資系ファンド)ことが日経平均の8月5日の暴落を助長した。このほか、「今年に入って高騰したツケが一気に表面化した」(同)との指摘も聞かれる。
まとめると、植田総裁のタカ派会見に米雇用統計の不振、高騰した日経平均の水準調整が偶然にも重なったと言えるだろう。
ただ、複数の要因が重なったとは言え、植田総裁の会見が暴落につながる最初の「引き金」になったのは間違いない。その意味で「植田ショック」と呼ばれるのはやむを得ない。
もっとも、このまま暴落の戦犯として歴史に「悪名」を刻むかどうかは、タカ派姿勢に転じた政策運営が正しいかどうかに帰着する。つまり、「インフレファイター」として物価目標を達成し、経済の安定成長を確保できるかどうかが問われるわけだ。
ここで植田総裁がタカ派に転じた理由を推測してみたい。カギを握るのはやはり「円安」だったとみられる。
■「金融政策で円安再燃」は避けたかった
円相場は7月上旬に162円近くまで売り込まれた。日米金利差の拡大観測が根強く、6月に一方的に円安が進んだ流れが継続した。政府(財務省)はこの流れを断ち切るべく、7月11日に円買い・ドル売り介入に踏み切った。
この介入は、アメリカの物価指標が弱く、市場でドルが売られる過程で実行されたのが特徴だ。
これまでは円安が加速した際、その勢いを弱める「スムージング介入」という手法だった。ところが、7月の介入はドル売り・円買いを加速させる「(円の)押し上げ介入」の色彩が強かった。恐らく「160円」を円安防衛ラインとみなし、「少しでも円高にもっていく」(別の大手邦銀)ことにしたとみられる。
企業・家計の円安への悲鳴を受け、政府が円安阻止の姿勢を強めたなら、日銀も歩調を合わせるしかない。日銀として絶対に避けるべきは、金融政策要因で円安が再燃することだ。
ここで思い起こすべきは、植田総裁には円安を加速させた“前科”があることだ。
4月末の会見で、「円安容認」と受け止められる発言を行い、一気に円安が進行。政府が大規模介入で食い止めることを余儀なくされた件だ。この後、植田総裁は首相官邸に呼ばれ、岸田文雄首相と会談。円安に十分注視することを確認した。
この時点では、大規模介入で円高に揺れ戻したが、日米金利差の拡大観測で円安が再燃し、7月上旬に162円近くまで円が売られたのは前述した通り。政府が円安阻止を強めた中で7月末の金融政策決定会合を迎えた。
円安を加速させた4月末の総裁会見を「大失敗だった」(幹部)と深刻に受け止めた日銀は、追加利上げでタカ派姿勢を打ち出す必要があった。そして、植田総裁は正しくタカ派を演じ、円安修正に成功した。
計算外だったのは、この姿勢転換が金融市場にサプライズとなり、金利差狙いのドル買い・円売りのポジション解消が加速。大幅に円高に揺れ戻し、米雇用統計の悪化という不運も重なり、日経平均の暴落につながったことだ。
決定会合翌日の株価急落は覚悟しただろうが、8月5日の暴落には政府も動揺。日銀は内田真一副総裁が8月7日の講演で、市場動揺に配慮し、ハト派のメッセージを発信せざるを得ない事態となった。
■あえて市場に優しいメッセージを送った内田副総裁
「金融資本市場が不安定な状況で、利上げをすることはない」「当面、現在の水準で金融緩和をしっかりと続ける」
植田総裁のタカ派姿勢を打ち消すかのような内田副総裁の一連のハト派フレーズは、政策運営の一貫性を損なう恐れがあるほか、金融政策が市場に隷属する危険性をはらむ。
それでも、あえて市場に優しいメッセージを送ったのは、想定外の株暴落に動揺したからだろう。
幸いなことに内田副総裁の講演を受けて、日経平均は急反発に転じた。円高への流れも一服し、「目先の金融市場は安定を取り戻す」(大手邦銀アナリスト)とみられる。
ただ、このまま日銀が窮地を脱するかどうかは予断を許さない。株価は景気の先行指標として知られ、今回の日経平均暴落や、米雇用統計悪化を受けた米ダウ平均の急落などは、将来の景気悪化の予兆である可能性も否定できないからだ。
中央銀行は経済・物価の先行きを予想して、金融政策を運営する。一般的に金融政策の変更が経済・物価に影響するまでのラグは「半年から1年程度」(日銀OB)と言われる。
■「植田ショック」の汚名の程度は半年〜1年後に決まる
7月末の追加利上げを起点にすると、向こう半年から1年の間に景気が悪化しなければ、追加利上げは失敗だった、とみなされることはない。また、景気悪化が回避されるなら、株価は底堅く推移するだろう。
そうなれば、株暴落は追加利上げに複数要因が重なった一時的な過剰反応とみなされるだろう。「植田ショック」の名は残るかもしれないが、景気悪化が回避され、日銀の見込む通りに物価が目標の2%に向かい、経済も安定成長するなら、植田日銀の名声は高まるだろう。
一方、アメリカ経済の不況入りなど海外要因であっても日本経済が悪化すれば、「植田ショック」は景気悪化の引き金とみなされるのは間違いない。
中央銀行は将来を予想するが、神の予知能力はない。予想するとは言っても、最新の経済指標は少し前のもので、経済指標は誤差もある。これについては、山口泰元副総裁が紹介した以下の比喩が秀逸だ。
「中央銀行とは前方の曇った窓ガラスとリア・ミラーと、さらには不正確な速度計を見ながら曲がりくねった道路を走る自動車の運転手のようなもの」
植田日銀の命運は、原因は何であれ、とにかく無事故で向こう半年から1年を走り切れるかどうかにかかっている。