3Mのフロリナートが生産停止→半導体製造のドライエッチング装置をどうしよう?!

半導体製造に欠かせないフッ素系溶剤のとある製品が生産停止に追い込まれて半導体関連業界がアワアワしてるそうで、私が知ったのは今日『続報・3MのPFAS生産停止、今は「嵐の前の静けさ」なのか』という記事を偶然見かけたからなのですが、欧州メディアでは1年ほど前からいろいろと報道されてたらしく、すでに知る人ぞ知る話題だったようです。

自分なりにサクッとググって眺めた印象としては、3Mの工場がある地域の自治全般を管轄するフランデレン政府が際立って厳しい環境政策を取っているというわけではなく、政府関係者と地元住民が我慢の一線を越えてプッツンするくらい3M社が横柄な態度を取り続けてきた帰結のように見えるのですが、どうなんでしょう・・・
(私が初めに読んだ EE Times Japan の記事は企業目線が過ぎるように思う)

あと、この事態にビビットに反応する台湾や韓国の企業と、相変わらず腰が重いように見える日本企業の差がなんともモニョる

 

続報・3MのPFAS生産停止、今は「嵐の前の静けさ」なのか【2022年5月18日 EE Times Japan:湯之上隆】

代替品を巡る水面下での調達合戦

 2022年4月11日に、「3Mベルギー工場停止、驚愕のインパクト ~世界の半導体工場停止の危機も」を寄稿した。この記事は、タイトル通り、驚愕的なインパクトを各方面にもたらしたようだ。

 というのは、この記事が掲載された後、筆者の元には、この件に関する問い合わせが絶え間なくあったからだ。また、毎年2回、セミナーを行っているサイエンス&テクノロジー社にも、筆者への講演のリクエストが多数寄せられたと聞いている(セミナー予定は文末を参照ください)。

 そこで、本稿では、この続編を報じたい。その前に、簡単に前掲記事の内容を振り返る。

 2022年3月8日に、3Mのベルギー工場がドライエッチング装置の冷媒に使うフッ素系不活性液体(PFAS[パーフルオロアルキル化合物及びポリフルオロアルキル化合物]の一種、登録商標「フロリナート」)の生産を停止してしまった。そのフロリナートの世界シェアは、約50%あると推定している(図1)。


〔図1:ドライエッチング装置のチラー用冷媒の世界シェア 出所:筆者の調査による推測値〕

 ドライエッチング装置では、ウエハーの温度を一定に保つために、チラーという装置を使ってフロリナートなどの冷媒を、静電チャックと呼ばれるウエハーステージに流し、循環させている(図2)。その際、冷媒がリークするため、リークした分を補充しながら冷媒を循環させている。


〔図2:ドライエッチング装置における温度制御の原理 出所:野尻一男(Nanotech Research) 『はじめての半導体ドライエッチング技術』(技術評論社)、90ページの図4-16〕

 半導体工場では、最大3カ月程度の冷媒の在庫があるという。しかし、その在庫が底をついた場合、生産停止になったフロリナートの代替品を調達できなければ、ドライエッチング装置が稼働できなくなる。それはつまり、半導体工場が止まることを意味する。

 そのため、世界中の半導体メーカー各社およびドライエッチング装置メーカー各社は、フロリナートの代替品を求めて、激しい調達合戦を繰り広げている模様である。その代替品としては、3Mが米国工場で生産している「ノベック」(世界シェア約30%)と、ベルギーに本社があるソルベイがイタリア工場で生産している「ガルデン」(世界シェア約20%)がある。

 本稿では、まず、この代替品の調達の状況について報じたい。そこでは、日本メーカーが不利な立場に直面していること、日本以外の半導体メーカーも決して安泰ではないことを述べる。次に、なぜ3Mのベルギー工場において、突如フロリナートの生産が停止したのかを説明する。筆者が調べた限りでは、かなり根が深い問題であることが分かってきている。

 さらに、フロリナートの生産停止によって、今後、どのような事態が想定されるかを論じたい。最悪のケースとしては、クルマを含む各種電機製品が生産できなくなるだけでなく、社会インフラの維持が困難になることも想定される。大げさでなく、人類の文明が危機に直面していることを警告したい。

フロリナートの代替品の調達状況

 ある商社の知り合いからの情報によると、非公式ながら、3Mは、大口顧客のSamsung Electronics、SK hynix、TSMC、Intelに対して、サポートを約束した模様である。そのサポートとは、恐らく、生産停止となったフロリナートの代わりに、米国で生産しているノベックを供給するということであろう。

 しかし、フロリナートとノベックは、種々の物性値が異なっている。例えば、汎用的に使われている型番FC-3283のフロリナートと、それによく似たノベック(型番7500)を比較すると、微妙に物性値が異なる(図3)。このように、物性値が異なる冷媒を混ぜ合わせた場合、静電チャックを所望の温度に制御することが極めて難しいという。つまり、フロリナートFC-3283とノベック7500は、互換性が良いとは言えないようである。


〔図3:3Mのフロリナート(FC-3283)、ノベック(7500)、ソルベイのガルデン(HT135)の物性値の比較(黄色で示した部分は特に重要な物性値) 出所:3Mのカタログとソルベイのカタログ等を基に筆者作成〕

 そのため、3Mからノベックの調達を受けた、ある半導体メーカーは、ドライエッチング装置メーカーに、フロリナートにノベックを混合した時の温度調節の試験を依頼していると聞いている。微細化が進むほど、微妙な温度制御によって加工形状のよしあしが決まる。従って、ノベックを代替調達できたからと言っても、安泰とは言えないのである。

化審法の壁に直面している日本メーカー

 異なる冷媒を混合することが難しいとしても、代替品を入手できた半導体メーカーは、まだ望みがある。しかし、日本メーカーは、より厳しい状況に陥っている。

 というのは、フロリナート(型番FC-3283)と比較的物性値が近いノベック(型番7500)については、「化学物質の審査及び製造等の規制に関する法律」(略称:化審法)によって、年間1トン以上の製造と輸入が禁止されているからである。

 従って、フロリナートを使っていた日本の半導体メーカーの代替品の選択肢は、ソルベイのガルデンしかないということになる(ただし、型番HT235のガルデンはフロリナートFC-3283との互換性がかなり良いと言う。これは不幸中の幸いである)。

 つまり、この化審法が改正されない限り、日本メーカーは、冷媒の調達において、極めて不利な立場に立たされていると言える。もしかしたら、冷媒の在庫が底をつき、稼働が止まる最初の半導体工場は、日本メーカーかもしれない。

 しかし、そもそも、なぜ3Mのベルギー工場で、フロリナートの生産が停止したのだろうか?

フォース・マジュール宣言を行った3M

 先月からの1カ月間、調査を行って判明したことは、1963年に操業を開始した3MのベルギーのZwijndrecht工場(図4)に対して、フッ化物の生産時に排出される排気ガスを巡り、ベルギーのフランダース地方政府が何度も規制強化を通達したにもかかわらず、3Mがそれを順守しなかったため、フランダース地方政府が懲罰的に、フロリナートの生産を止めてしまったらしい、ということである。


〔図4:3MのベルギーのZwijndrecht工場 出所:“Bedrijfsbezoek Arbeid & Milieu”, 3M Zwijndrecht, 11 December 2015〕

 そのため、3Mは、Force Majeure(フォース・マジュール)を宣言した模様である。フォース・マジュールとは、「不可抗力」を意味するフランス語で、地震・洪水・台風・戦争・暴動・ストライキなど、予測や制御のできない外的事由を意味する。

 例えば、2011年3月11日に、東日本大震災が発生し、その震災や津波などによって多くの工場の稼働が止まった。そのような時、売買契約を結んでいるカスタマーに対して、契約を履行できないため、不可抗力、つまりフォース・マジュールを宣言する。そして、このようになると、稼働が止まった工場は、売買契約の不履行による損害賠償には応じられないことになる。

 3Mのベルギー工場の場合も、3Mはフロリナートを生産し、売買契約を締結している半導体メーカーにフロリナートを売りたいのだけれど、フランダース地方政府によって生産を強制停止されてしまったため、フォース・マジュールを宣言することになったということであろう。

なぜフランダース地方政府はフロリナートの生産を止めたのか

 Chem-Stationというサイトに、“Tshozo”という方が寄稿した『パーフルオロ系界面活性剤のはなし 追加トピック』という記事が2022年2月14日に掲載された。本記事は、4月に追記され、筆者の4月11日付EE Times Japanの記事が引用されている。

 この記事には、かなり詳細に、3Mのベルギー工場において、フロリナート(PFAS)が生産停止に至った背景事情が記載されている。Tshozo氏の記事および、その記事に掲載されている文献などを基に、その事情を説明する。

 図5に示すように、3Mのベルギー工場は、フロリナートなどを生産する際に発生する排気物を燃焼させ、その排気ガスを煙突から空気中に放出していた。


〔図5:フロリナートなどの廃棄物処理の方法 出所:“Bedrijfsbezoek Arbeid & Milieu”, 3M Zwijndrecht, 11 December 2015〕

 しかし、一般的にフッ化物は非常に安定なので、完全に燃焼して分解させることができないようである。そのため、図6に示したように、煙突からの排気ガスの中に含まれる(燃焼されなかった)PFASが、空中に飛散し、その一部が雨となって土壌に降り注いだと考えられる。


〔図6:フロリナートの工場周辺への漏出・堆積のイメージ 出所:Tshozo、「パーフルオロ系界面活性剤のはなし 追加トピック」(2022年2月14日)〕

 そして、これが数十年かけて土壌に浸みこんで蓄積していき、さらには川や地下水脈に流れ込んだPFASが何らかのルートで人間の口に入り、土壌ならびに付近住民の血液内から相当な高濃度のPFASが検出されることとなった。これが、ベルギーのフランダース地方政府が、3Mのフロリナートの生産を強制停止させた原因となっているようだ。

 Tshozo氏は、前掲の記事の中で、関係するニュースを基に、フランダース地方政府と3Mの言い分を検証したところ、両者は大きな食い違いがあり、この認識差を埋めるには長い議論と多くのデータが必要となるため、相当の時間がかかることを指摘している。

 筆者も、Tshozo氏の記事を読む限りでは、3Mのベルギー工場がフロリナートの生産を再開させることは不可能なのではないかと思い始めている。となると、世界の半導体産業にとっては、もはやフロリナートは当てにはできないことになる。事態はやはり危機的状況である。

完成品がつくれない

 ドライエッチング装置用の冷媒の半分が消滅してしまった。そして、当分の間、それが補完されることは無いだろう。これに対して3Mは、Samsung、SK hynix、TSMC、Intelのサポートを約束した模様であるが、それ以外の半導体メーカー(特に日本メーカー)で、冷媒の在庫が底をついたところから、半導体工場の稼働が止まり始めることになる。

 すると何が起きるだろうか?

 思い出してほしい。2021年になった途端に、半導体不足で日米欧の各国のクルマメーカーが、クルマの減産に追い込まれたことを。このとき、主として足りなかったのは、2次下請けであるInfineon Technologies、NXP Semiconductors、ルネサス エレクトロニクスなどの車載半導体メーカーがTSMCに生産委託していた28nmのロジック半導体やMCU(Micro Controller Unit、通称マイコン)であった。つまり、約3万点の部品から構成されるクルマは、半導体が一つ欠けるだけで、完成車をつくることができなくなるのである。

 現在、クルマは少なくとも15種類の半導体を必要としている(図7)。ここで、この3年間の出荷額動向で顕著なのは、アナログ半導体が飛躍的に拡大していることである。2019年と2020年に150億米ドル弱だったアナログ半導体は、2021年に1.6倍の約240億米ドルまで市場が拡大している。


〔図7:クルマに使われる半導体(2019~2021年) 出所:WSTSのデータを基に筆者作成〕

 実は、2021年の初旬は、前述したように28nmのロジックやマイコンが不足していたが、2021年の後半にその不足は解消され、今度はパワーを含むアナログ半導体が不足してきたのである。それが2021年に(パワーを含む)アナログ半導体が急成長したことに現れている。

 この原因は、クルマの自動運転化とEV化(電動化)が進んでいることにある。自動運転車には多数のセンサーが搭載されるため、センサーの信号を処理するためのアナログ半導体が多数必要になる。加えて、EV化の普及により、パワー半導体需要が急拡大している。

 そして、クルマの自動運転化とEV化は今後もっと加速度的に普及していく。すると、パワーを含むアナログ半導体需要は、今後さらに拡大することになる。そのパワー半導体やアナログ半導体を生産している工場が、冷媒が底をついて止まってしまったら、どうなるか?

 パワーやアナログ半導体を生産している半導体メーカーは、8インチ工場が多い。そのような半導体メーカーは、Samsung、SK hynix、TSMC、Intelのようなビッグカンパニーではない。従って、ドライエッチング用の冷媒の調達合戦に負けてしまう企業もあるかもしれない。そうなると、レガシーなパワーやアナログ半導体が足りなくて、自動運転車やEVが生産できなくなるということが起きる。

Appleの「iPhone」もつくれなくなる

 そして、このような事態は、クルマだけに限らない。図8は、Communication用途の半導体の出荷額を示している。この分野には、米Appleの「iPhone」をはじめとするスマートフォンや5G(第5世代移動通信)通信基地局などが含まれる。


〔図8:Communicationに使われる半導体(2019~2021年) 出所:WSTSのデータを基に筆者作成〕

 新型iPhoneには、TSMCの最先端プロセスで生産したApplication Processor(AP)が必要である。しかし、最先端のAPだけあればiPhoneができるわけではない。図8に示したように、さまざまな種類の半導体が必要であるし、その半導体のテクノロジー・ノードは、最先端からレガシーまで幅広い。

 TSMC以外の中小規模の半導体メーカーが生産するレガシーなチップ1個足りなくても、完成品のiPhoneはつくれないのである。同様に、PCも、高性能サーバも、あらゆる電機製品も、たった1個の半導体が足りないだけで、完成品がつくれなくなる。

 このように、ドライエッチング装置用の冷媒が半分になったということは、クルマを含む全ての電機製品がつくれないという事態を招く。

 そして、問題はこれだけにとどまらない。

人類の文明が維持できない

 あなたは毎日、インターネットに接続されたスマートフォンやPCを使っているだろう。そのインターネットには、通信基地局やデータセンターの存在が必要不可欠である。その通信基地局やデータセンターは、膨大な半導体に支えられている。

 あなたの自宅やオフィスには、照明器具があり、各種の電機製品があるだろう。その動力である電気は、発電所でつくられ、変電所を介して送電されている。その発電や送電には、パワー半導体などが活躍している。

 あなたは通勤のために電車に乗ったり、出張や旅行のために飛行機に乗ったり、ATMで銀行預金からお金を引き出したりしているだろう。その電車の運行システムや、飛行機の自動操縦システムや、銀行の基幹システムなどは、半導体が制御しているのである。

 このように、今や人類の文明を維持する社会インフラは、もはや半導体なしにはあり得ないのである。そして、ドライエッチング装置用の冷媒が足りないために、これらの半導体がつくれなくなったとしたら?

 社会インフラに使われる半導体が生産できなくなった時のことを想像してみてください。人類の文明が、危機的状況に直面していることがお分かり頂けるのではないでしょうか?

 今はまだ、半導体工場が停止したというニュースは無い。しかし筆者は、これが、「嵐の前の静けさ」のように思えてならない。

 

パーフルオロ系界面活性剤のはなし 追加トピック【2022年2月14日 Chem-Station:Tshozo】

Tshozoです。

先日ある方から下記のような話を耳にしました。欧州主要メディアでほとんど公表されている(2021年11月1日のStartribuneによる記事など:リンク)ので書いてしまってもいいだろう、と判断して、短いですが少し整理し以前書いたフッ素系界面活性剤の記事の補足事項として書いてみることにします。

“「欧州のフッ素関係の工場が止まったせいで材料が入んなくて大変なんですよ….しかも全然工場再開の見込みが立たなくて…」”

要はベルギー Zwijndrechtにある3M社の化学工場が地元政府からの命令に基づき操業停止に追い込まれた、それで関係するフッ素系材料の供給がいっぺんに止まりえらいことになっている(しかも2022年年始時点でまだ継続停止中)ということ(2022年4月追記:いきなり全部シャットダウンしたようではなく、部分的に徐々に止めていったようです・2022年3月初旬までは半導体関係の溶媒に関係する設備は動いていたようで…→リンク)。その背景にあったのはパーフルオロアルキル化合物(PerFluoro-Alkyl-Substances 以下PFAS)で、そもそもが工場周辺の土壌のほか、住民の血液内から相当な高濃度のPFASが検出された、ということでした。何故ここまで高濃度の値が検出されたかの詳細は不明ですが、一般にフッ素化合物は安定でありかつ分子間力がかなり小さいことからそれなりの低分子量でも揮発しやすい傾向をもつため、工場で排出処理したとしても少しずつあちこちから漏出して周辺に堆積してしまった、と考えられるようです(文献2)。


〔渦中のベルギー 3M Zwijndrecht工場全景 (文献1)より引用〕


〔PFASの工場周辺への漏出・堆積のイメージ図 (文献2)より
もちろん工場側では処理装置を持っていることがほとんどだが
一般的に完全にゼロにすることは出来ないため少しずつ堆積してしまう〕

一般的には環境保護問題については行政側は雇用や税収・産業振興なども含めてバランスを取りに行くゆえに、刑事罰を伴うようなものでないかぎり行政と企業、場合によっては司法も交え議論しながら工場運営を考えて妥協点を探るというプロセスが入り(だいたいそこで落ち着く)ますが、半年ほどの議論の後に決裂、行政側がその権限に基づき強制停止させたという、あまり見ないタイプの結果のように思います。

では今回何故ここまでハードな状況に至ったのか? 公平な推論のためには行政側と会社側双方の言い分を理解する必要がありますが、関係者の話を聞いたうえでWeb記事を探ったものの確認できる両者の見解は限られており、昨年6月あたりからの経緯を追ってみても色々と不明確なところが多いという印象を受けます。・・・が、無理やり並べてみると以下のようになりそうで。

1.オランダ”Omroepzeeland”紙:「Zwijndrecht工場周辺の道路拡張工事時に周辺土壌から高濃度のPFASが見つかった」 ・・・2021年6月・記事リンク

2.ドイツ”Brussel Times”紙:「わが社(3M)は環境及び是正措置に対し十分な責任をとる」・・・2021年7月・記事リンク

3.ベルギーVRT紙:「工場周辺住民の60%の血中から高濃度のPFOSが検出」・・・2021年10月・記事リンク

3.ドイツ”Brussel Times”紙:「地元政府が「情報提供が不十分」と判断、ベルギー3Mに対しZwijndrecht工場の即時停止を命令」・・・2021年11月・記事リンク

4.ドイツ”Brussel Times”紙:「地元政府が大規模な周辺調査を開始、既に172箇所を調査」・・・2021年11月・記事リンク

5.ドイツ”Brussel Times”紙:「地元政府担当者『EUの広範囲なPFASの使用制限を支持する』」・・・2021年11月・記事リンク

6.ベルギー”De Morgen”紙:「3M役員『過去発生していた結果が出てきたものだと考えられるがパニックを起こす必要はない、工場閉鎖には全く同意できないが住民のための環境状態の修復に伴う経済的負担には喜んで同意する』」・・・2021年12月・記事リンク

これらの文面と筆者が調べた話を総合すると、どうも両者(地元政府と3M社)それぞれがイメージする時間範囲がズレている可能性があるのでは?という印象です。つまり

●3M社側の言いぶん:「PFASの排出を完全にゼロにすることは技術的に困難で長年の累積分(工場稼働開始:1963年)が工場外にみられるのは致し方ない、特に20年前辺りに発生していた分が多い(注:特にPFOSについては20年前あたりに生産中止している)と考えられ、これらの累計でも健康被害としては表れにくいはず」

●行政側の言いぶん:「土壌汚染含めたこれらPFASの存在は現状または比較的近い過去の3M側の不作為によるものではないのか、実際には大きな健康被害とつながるのではないか」

と時間軸で議論がかみ合っていない。これらの認識差を埋めるのには長い議論と多くのデータが必要となるため相当の時間がかかり、ヘタをすると年単位での工場停止継続を余儀なくされる可能性すら予想され関係者は気が気ではない、ということで冒頭の話になったのでしょう。

なおフッ素材料を合成する工場周辺のPFASの土壌汚染や周辺住民の血中濃度上昇については特にアメリカで色々調査されており、3M社に限ったことではありません。実際、前回記事で少し言及したChemours社(旧Dupont+旧Dow)やSolvay社のアメリカニュージャージー州での工場周辺にも下図のようにPFASの一種である特定のフッ素化合物が結構な量ばらまかれており、実際血中濃度のほうもそれなりの数値が出たため裁判沙汰になっているケースもあります。


〔(文献2)より ChemoursとSolvayの二大巨頭からの排出量が重なっている影響か、
広範囲にフッ素化合物の一種が堆積している可能性が指摘された報告書
なお数値の単位は土壌1gあたりのPFAS量(ピコグラム)〕


〔(文献3)より ピコグラムだとピンとこないかもしれないが、
ニュージャージー州でより広範囲に調べられたこちらのマップでは
2社の工場が存在する矢印付近に集中していることが明白
他の濃度が高いところにもフッ素系の材料を扱う工場があるもよう〕

こうした現象はPFASに限ったものではなく、国外以外にも日本でも工場跡地に色々材料が堆積していたなどのケースはもちろんあります。しかし他の材料と比べPFASの半減期がケタ違いに長く、様々な健康への影響が疑われているせいで今回のように一見過剰にも見えるアクションが発生したのでしょう。実際PFASは世界中でその残留性が懸念されており、また健康被害も疑われて実際にその影響が出ていると思われるケースも多く、やはり「厳重に管理していくべきものであり、使用するにも最小限にとどめるべき」という前提に立つのが妥当だと考えます。

なおPFASのうち工業的なものは完全燃焼させてスクラバで無機物化させれば環境への影響はよっぽど抑えられるでしょうが、今回のような工場から継続的に揮発・分散して土壌に落下したもののほかに大きな問題として考えられるのは消火剤に使われるような、環境への暴露回数が高く流出量の非常に多いケース。再掲になりますが下図のようなPFAS散布の様子を見ると「ああ、こりゃイカンわ」となるのが良心を持った化学者の認識ではないでしょうか。


〔(文献4)より再掲 あと軍隊の基地の周りとかもひどい〕

〔同じく(文献4)より 近くで消火剤を撒いた後の海岸の様子〕

いずれにせよ大原則は健康被害が本当にどの程度あり得るのかを示す事。ですがこれはある意味「悪魔の存在を証明する」ことでもあり、将来にわたって100%の安全を未来永劫保証するということは極めて難しく最終的には政治判断を含むものになります。また同時に工場での設備対策、土壌清浄化対策、補償積立が必要になることで他社との競争が厳しくなって工場の運営が成り立たなくなる可能性もあり、50年以上も地元で工場を運営し雇用に貢献し世界中に活躍する製品を作ってきた企業であってもこうなるのか、という点については暗澹たる気持ちにならざるを得ません。

なおこの化学物質の安全性については専門家がある程度以下なら大丈夫、とみなした場合でも、専門家には大したことが無いと思われる分量であっても一般の方々がそうは捉えないケースは多々あり、例えばアセトンやエタノールなど化学の徒にはふつうに使っている溶媒でもSDSを見ればあら不思議、恐怖をまき散らすとも見られかねない記述が多々あり、如何に安全性を説明し保証するのか、というのは化学系企業の永遠のテーマであるように思います。

その昔、偉大なエンジニアの本田宗一郎は「おめぇのかあちゃんにわかるような説明が出来なきゃ、技術者としては失格だよ」という趣旨の発言をされていたようですが、技術は人に尽くすためにあるという哲学を持っていたからこその言葉だと思います。機械工学とは全く異なる背景を持つ化学系材料についての説明はさらにハードルが高くなるのでしょうが、3M社がどのような経営判断を下されるにせよ、こうした出来る限りの技術的説明、健康被害への安心感の醸成、そして引き続いての地元への貢献を継続することを前提に粘り強く取り組んでいただきたいところですが昨今の事情を考えるに工場撤退も含めた選択肢まで考えていそうで気が気ではありません。何とか健康被害が最小化されることを大前提に、関係者全員が最大限納得するところに落ち着くことを願っています。

あと下記、蛇足ながら・・・

今回の件はごく一面的にユーザー側からの立場で考えた場合、たまったもんではありません。同工場でどのような製品が製造されているのかは正確に発表されていないので過去に同社から発表された資料(文献1)に頼るしかないのですがそれによると下図のようなものが生産されているようです。左上からオフィス用品・テープ類、右に行ってゴム類(エラストマー)・ポリマー添加剤、下の段左側の特殊冷媒・溶剤、その右のコート剤・繊維用エマルジョンといった製品。接着剤やテープ類を除けば同社の製品のほとんどが何らかの形でフッ素系材料ですので今回土壌から検出されたPFASはこうした部材の生産時に発生したものなのでしょう。筆者がヒアリングできた関係者はピーーー関係でしたのでおそらく特殊溶媒、つまりフッ素系溶剤の供給が止まってしまうことになったものと思われます。3MといえばFlorinart、Novec、というくらいいずれも有名なフッ素系溶剤ですね。


〔(文献1)より引用 日本語のサイトを色々あたるとテープ類も供給が止まっている記載が散見される〕

簡単に「代替製品を探せばいいじゃないか」と思ったソコのあなた! 製造をなめてはいけません。工場をf(x,y,z,…)という製品(の値)を出力する多変数関数ととらえると、材料や製造条件などの各変数x,y,z,…をp, q, r….へ変えるということがどれだけリスクがあることか想像してみてください、もしそれで欠陥品=誤った値が出ようもんなら全部アナタ及び関係者のせいになるのですよ、、、

これらの変数をビタ一文変えたくない、あるいは多少ぶれてもその出力f(x,y,z,…)が動かないようにしたい、というのが工場の誰もが願うことですから今回のようなトラブルを未然に防いで在庫を積み増す、あるいは発生した場合にバックアップ策を考えておくというオプションを常に用意しているのがだいたいのケース。ただこうした対策に本格的な手を打てるのは体力のあるところがほとんどで、中小企業に至ってはなかなか対応が難しく結局負担と責任がそこに行きかねないのは今回のトラブルで発生してしまう辛い現象も起こりえます。幸い筆者は今回の製品とはほぼ関係が無かったとはいえ、こうした悪影響が最小限になることを祈るしかできませんが…

ということで今回はこんなところで。

【参考文献】
1. “Bedrijfsbezoek Arbeid & Milieu”, 3M Zwijndrecht, 11 December 2015
2. “Nontargeted mass-spectral detection of chloroperfluoropolyether carboxylates in New Jersey soils”, Washington et al., Science 368, 1103–1107 (2020), リンク
3. “PFAS Occurrence in New Jersey”, Sandra M. Goodrow, Ph.D. NJ Department of Environmental Protection, Research, and Environmental Health Panel 2- CVP/SRAG Meeting June 2017, リンク
4. “Flame Retardants, PFAS and Firefighters”, Graham Peaslee, University of Notre Dame, February 8, 2020, リンク