日本の半導体業界、興隆要因と衰退要因

Chris Miller『Chip War: The Fight for the World’s Most Critical Technology』はフィナンシャル・タイムズ紙などで2022年の一押し本の1つに挙げられるほど注目を集めたようですが、今の日本では昔と違って良書の積極的な邦訳化が出るような状況ではなくなっているので(ユヴァル・ノア・ハラリとかぶっちゃけどーでもいいのはなぜかすぐに出るのに)、原書を買って英語を頑張って読むしかないかな〜と。ジャーナリストや作家ではなく社会科学の学者が書いたものなので分析が興味深いですし。

Chris Miller『Chip War: The Fight for the World’s Most Critical Technology』

日本の半導体業界の衰退は、最初のキッカケこそ日米半導体摩擦による日米半導体協定の締結ではあれど、衰退が長期間にわたり傷が深くなったのは、ひとえに日本企業の経営者たちが軒並み無能で、IBM PC/AT→DOS/Vなどといった時代の流れに悉くついていけなかったことが全てだと考えてます。マサチューセッツ州にあるタフツ大学のミラー准教授がこの辺りをどのように分析して評価しているのでしょうか。

また、下記に紹介するコラムの執筆者は日本の将来を楽観的に考えているようですが、ここ四半世紀以上というか半世紀近くというか、財界も政界も霞ヶ関官僚も皆して、技術者や研究者の育成や待遇改善、研究開発への投資を非常に軽んじてきた、その現状が反省されないかぎり、残念ながら日本の未来は暗いままだろうなと悲観的に見ています。

 

米国視点で見る「日本半導体敗戦」、痛手だったサムスンへの政治的支援【2023年2月7日 日経クロステック:久保田龍之介】

 「日本を打ち負かす鍵は(韓国Samsung Electronics〔サムスン電子〕のような)アジアのより安い半導体供給源を見つけることだった」――。2022年10月、米国で衝撃的な書籍が出版された。半導体の世界史を米国の視点から描いた『CHIP WAR(チップ・ウォー)』だ。同書籍では、米国がかつての日本半導体の攻勢にどう反撃し、またどれほど恐れていたのかが分析されている。その恐怖と反撃の対象は今、中国に変わった。米国の戦略が大きく転換した今は、少なくとも日本にとってのチャンスと言えそうだ。

 『CHIP WAR』著者のChristopher Miller氏は、米タフツ大学 フレッチャー法律外交大学院(フレッチャー・スクール) 国際関係史 准教授である。同書は、1948年の米ベル研究所によるトランジスタ発明の発表から現在の米中半導体摩擦に至るまでを俯瞰して描いた。「産業・アカデミア・政府の専門家100人以上への取材」(同氏)などを基にする。なお、2022年12月には、英Financial Timesが2022年に出版されたビジネス書を対象とする賞「FT Business Book of the Year Award 2022」にも選出された。

技術で勝ち、政治で負けた日本半導体

 同著の内容をまとめると、日本半導体の2つの興隆要因と、4つの衰退要因が浮かび上がってくる。順番に見ていこう(図1)。

[図1 2つの日本半導体勝因と4つの日本半導体敗因(出所:『CHIP WAR』の内容を基に日経クロステックが作製)]

 1986年、日本の世界に占める半導体シェアは最高潮に達していた。先頭を行くのはNECや東芝、日立製作所といった企業だ。それまで世界首位だった米国を超え、DRAM(ダイナミック・ランダム・アクセス・メモリー)市場ではそのほとんどを占めた。

 「第2次世界大戦からしばらくの間、日本製は『チープ(安い、低品質)』の同義語だった」(※注1:この文章は『CHIP WAR』の記述を記者が訳したもの。Chris Miller氏および『CHIP WAR』の文章は以下同様である)。Miller氏はこう説明する。米半導体企業が集う会議では写真を撮ってアイデアをコピーすることから、「カシャ、カシャの国」とまで揶揄されていたという。

 そんな状況から一転、短期間で日本は興隆した。なぜか。Miller氏が指摘するのは(1)歩留まり率の高さ(2)日本政府の手厚い補助――という2点である。

 (1)歩留まり率(生産性)は、技術力の指標でもある。米Hewlett-Packard(ヒューレット・パッカード、HP)役員だったRichard Anderson氏は当時、東芝やNECといったDRAMメーカーを調査した。日米でそれぞれ3企業を対象としたところ、米国企業は不良率0.09%だった一方、日本企業のそれは0.02%と低かった。対象企業の内、最も不良率が高かった米企業は0.26%で、日本企業の10倍悪い結果だったという。

 (2)として、1976年に設立された官民合同コンソーシアム「超LSI技術研究組合」が、日本の半導体市場に弾みをつけたことだ。同コンソーシアムは東芝やNEC、日立製作所などの半導体メーカーだけでなく、キヤノンやニコンといった露光装置を手掛ける企業の開発加速にもつながった。

 日本企業が共同で大規模集積回路に取り組むこの姿勢は、米国ではありえないものだった。「反トラスト法」により、半導体企業同士の大規模協業が難しかったからだ。日本政府の企業に対する補助金も手厚かった。実際、超LSI技術研究組合には1976~80年度までに、291億円が交付されている。

 米Intel(インテル)のような米国企業は1980年代、日本の製造手法を真似ることでDRAM事業の再建を試みた。だが、DRAM市場での日本の独占状態は変わらなかった(図2、図3)。
[図2 米国視点の半導体史(半導体黎明期)(出所:『CHIP WAR』の内容を基に日経クロステックが作製)]


[図3 米国視点の半導体史(日米半導体摩擦) 台湾TSMCは、台湾積体電路製造を指す(出所:『CHIP WAR』の内容を基に日経クロステックが作製)]

日本はなぜ負けた?

 状況が動いたのは、くしくも日本半導体が最高潮に達していた1986年である。同年、日米両政府は、日本がDRAMの海外輸出を制限する内容を織り込んだ「日米半導体協定」を結んだ。米政府は日本の半導体企業がダンピング(価格不正)輸出をしているとし、低価格での販売を阻止。日本のDRAM市場での低迷は進んでいった。

 日本国内では、日米半導体協定が半導体衰退の大きな要因だったという声がある。だが、Miller氏は別の見解を示す。「DRAMを高価格で海外輸出できることは、実際のところ、市場を牛耳る日本のメーカーにとって好都合だった。ほとんどの米国企業は既にDRAM市場から撤退していた」

 『CHIP WAR』から読み取れる日本半導体の衰退要因は大きく4つ。〔1〕NAND型フラッシュメモリーの販売戦略失敗〔2〕パソコンの流行を逃したこと〔3〕米国によるサムスン電子の支援〔4〕米国によるオランダASMLの支援――である。

 フラッシュメモリーは、東芝が1980年頃に発明した。電源を切った後もデータを記憶できる画期的な技術だったものの、販売戦略に失敗した。東芝は1992年、サムスン電子にNAND型フラッシュメモリーの技術供与をし、結果的に同社にシェアを譲る形になってしまった(※注2:『CHIP WAR』では東芝がNAND型フラッシュメモリーの発明に対して見向きもせず、Intelに上市を譲ったと表現されている。実際には、Intelは東芝が開発したNOR型フラッシュメモリーの製造技術を改良し、1990年ごろのフラッシュメモリー市場での先導につなげた)。

 「日本の半導体メーカーによる最大の失策は、パソコンの流行を逃したことだった」。こうMiller氏は指摘する。1981年、米IBMのパソコン「IBM PC」が世界的に流行した。これを受け、Intelは日本が独占するDRAM事業から撤退し、1985年にパソコン向けのMPU(Micro Processing Unit、マイクロプロセッサー)事業に注力した。同時にメーカーとの結びつきを通じてパソコン製造のエコシステムを形成。〔2〕として、こうした流れに、日本企業は追随できなかったとする。

 〔3〕および〔4〕として、米国は海外支援を進める策に出た。焦りを見せた米国企業は、日本以外の国の企業を支援/成長させることで、日本の半導体メーカーを弱体化させていった。

 〔3〕米国の支援を受けて急成長したのがサムスン電子である。韓国は1980年代までに、日本や米国製の半導体パッケージング・組み立ての調達地として重要な位置にあった。Intelのような米企業は、韓国が新たなDRAM製造企業の拠点になれるのではないかと考えた。韓国企業であれば、当時の物価の差などから、日本企業よりも安価にDRAMを製造できる。「日本の半導体市場にとっては大打撃になるだろう」とIntel 創業者の1人であるRobert Noyceは予測したという。

 この予測は的中した。韓国政府からの支援もあり、1998年にはDRAM市場で日本を追い越して世界首位に就いたからである。(※注3:パソコンが流行する時代では、品質過剰でコストが比較的高い日本企業の製品より、安価なサムスン電子の製品の方が需要があったという声が日本国内にはある。パソコン時代に対して柔軟に対応できなかったというわけだ。)

 結果として、日本の失策に米国の戦略が重なり、日米半導体摩擦は終わりを告げた。米国は1993年、日本の半導体出荷量を上回り、世界首位に復帰した。

 ただ、米国半導体の復活後も、日米摩擦の残滓は残った。米政府は日本企業に対して恐れを抱いており、その再興を防ぐ意志は続いていた。

 〔4〕は、米国が日本半導体企業の再興を阻止した例だ。日本半導体市場が衰退してから10年以上がたった2000年代以降のこと。EUV(極端紫外線)露光装置の開発競争である。

EUV露光装置、裏の政治

 2000年代当時、加速する微細化競争の中で、EUV露光装置はその未来に欠かせない鍵だった。米半導体関連企業が待望していた技術だが、その開発が見込めるのは世界でも3社に限られた。すなわち、ASML、ニコン、キヤノンである。

 ただ、ニコンやキヤノンは日本企業であり、「米政府は1980年代の日本との貿易戦争に対し、まだ神経をとがらせていた」(Miller氏)。残った選択肢がASMLである注4)。さらに、日本の両企業が露光装置の部品を内製する傾向があったのに対し、ASMLは市場から最適な部品を買っていた。この戦略は、極めて複雑なEUV露光装置の開発につなげやすかった。
注4)EUV露光装置の前世代となる液浸ArF露光装置の市場シェアでは、2000年代初期、先頭を走っていたニコンがASMLに逆転された。この頃には米企業からの後押しがあったようだ。

 そこで、米政府・企業はASMLとの協業支援に動いた。開発への道は険しいものだったが、同社は2018年にEUV露光装置の開発にこぎ着けた。2023年2月時点では、同社はEUV露光装置を製造する唯一のメーカーになっている。米国の支援や、2001年の米露光装置大手SVGの買収、そしてEUV露光装置の開発成功がけん引し、今や半導体露光装置でのシェアで独走している。独占は揺るぎないものになっている。

 「過去の半導体戦略は失敗だった。日本だけで成し遂げようとしたからだ」。自由民主党 半導体戦略推進議員連盟会長の甘利明氏は2022年12月14日、半導体装置・材料の展示会「SEMICON Japan 2022」で、日本の“半導体敗戦”をこう振り返った。この言葉には、米国が韓国のサムスン電子やオランダのASMLを取り込んだ戦略を推し進めていった一方で、日本は一国主義で、国際政治を理解したうえでの戦略を練れなかった事情が含まれているのだろう(図4)。


[図4 米国視点の半導体史(微細化競争加速) 中国SMICは、中芯国際集成電路製造を指す(出所:『CHIP WAR』の内容を基に日経クロステックが作製)]

半導体リベンジなるか?

 こうした日本半導体への米政府の冷ややかな目線は、2010年代にやっと終わりを告げた。潮目が変わり、米国が中国の半導体産業に対する圧力を強め始めたからだ。今、日本は米中半導体摩擦の流れを受けて、追い風を受けている状況である(図5)。


[図5 米国視点の半導体史(米中半導体摩擦) 中国ファーウェイは華為技術、中国JHICCは福建省晋華集成電路、台湾UMCは聯華電子を指す(出所:『CHIP WAR』の内容を基に日経クロステックが作製)]

 政治的・軍事的背景が大きく絡むため、日米半導体摩擦と米中半導体摩擦の単純な比較はできない。ただ、甘利氏の述懐があったように、米国の海外支援戦略は共通点の1つだろう(図6)。


[図6 日米/米中半導体摩擦のアナロジー(出所:複数の取材および『CHIP WAR』の内容を基に日経クロステックが作製)]

 米国企業は1980年代、サムスン電子の半導体事業を後押しし、日本に代わる選択肢を創り出した。米中半導体摩擦では、米国はファウンドリー企業Rapidus(ラピダス)を支援することで、地政学的リスクの高い台湾や韓国に代わるファウンドリーの選択肢を成長させようとしている。先端ロジック半導体の量産拠点を増やすことは、広い意味で中国対策としての戦略でもある。

 このように以前と異なり、現在は米国からの後押しがある。半導体微細化のスピードが減退する中で、3次元実装(3Dパッケージング)のような、日本の強みが生かせる次世代技術の波も来ている。かつての韓国やオランダのように波に乗り、半導体復権を成せるチャンスが来ているように見える。